2007年07月24日

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(飛行船:397) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(52)

Weltfahrt1929.jpg

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 世界周航(5)

この世界一周飛行の出発点は、フリードリッヒスハーフェンではなくレークハーストであった。

これは次のような経緯で決まった。

この飛行はハースト氏との合意で実現可能になったのであるが、そのランドルフ・ハースト氏は資金提供の条件として、世界一周飛行はレークハーストを起点とし、終点とすることを主張していた。

それは、この飛行をハースト氏の企業としてではなくアメリカ人としての事業として位置づける意図であった。

この条件は最初、何か同意できないように思えたが、さらに考えてそれほど共感出来ないものではないように感じた。

始めに、エンジンに関しては地球を一周する飛行に飛び立つ前に、クラッチや振動問題に関して、完全にオーバーホールしてレークハーストまで渡洋飛行することは意味のあることである。

第二に、私のこれまで努力してきたツェッペリン飛行を通じてアメリカとの良好な関係と協力に矛盾するものではない。

アメリカがドイツのツェッペリンのアイデアを、おおっぴらに独り占めする方が良かったであろうか?

こうして、2つの世界周航が1つになったのである。

アメリカ人はレークハーストからレークハーストまでの飛行と考えれば良いし、ドイツ人はフリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまでの飛行と考えればよい。

のちにアメリカ人は「アメリカの飛行」が12時間短い記録になったことにとても満足した。

というのも、最初のレークハーストからフリードリッヒスハーフェンまでの飛行が「ドイツの飛行」の終わりに当たる最終区間の飛行時間より12時間短かったからである。

このように「哲学者」にとって、うまくまとめられた計画は笑顔で終わることが出来た。
笑いは健康の良薬である。


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