2007年07月23日
(飛行船:396) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(51)
(世界周航航跡図:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)
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世界周航(4)
これで費用の半分はなんとか見通しがついた。
残りの半分は、この飛行に並々ならぬ興味を持っている気前の良い切手蒐集家に掛かっていた。
乗客の中には多くの新聞記者が居り、そこから考えられぬ程の額が受け取れるわけではなかった。
あれやこれやで、その飛行から4万ドルの利益が見込まれた。
出版社や官辺との交渉の間、飛行船はどのルートを取るべきか、中でもその旅が安全に実施できるかについて重要な問題点を調査した。
考えられるルートは2つあった。
一つは地中海経由インド洋、支那海に出るコース、もう一つは中央アジアの高い山脈の北を通り、バイカル湖を横切ってアムール渓谷に沿って満州に出て北部中国を横断して日本に至るコースである。
さらにもう一つ、中間の 言わば直接ルートが考えられるが、北部インドとバイカル湖の間に存在する非常に高い山岳地帯があるので問題外であった。
当初、インド洋を渡る最初のルートを重点的に検討した。
しかし、このコースは非常に長く、1万5千km近くに及ぶ。
これは平穏な天候で、経済速度を維持できればグラーフ・ツェッペリンの行動半径を超えることはないにしても、支那海の天候状態は非常に予測し難く、例えば台風の周辺など好ましくない風の中では燃料切れを起こす可能性があった。
それで バイカル湖、アムール渓谷を通る第二ルートに着目した。
距離は 僅か1万kmと相当に短い。
高度に関しても晴天ならば問題を起こすおそれはない。
しかし、まさに限界状況であった!
もし、雲か霧で中央アムール渓谷で方向を見失ったら、アムール川の南北両側に聳える高地を避けての航行は非常に難しくなる。
飛行が惨事に終わらないとも限らない。
特に飛行の予定されている7月は、しばしば台風が支那海から大陸を越えて襲来し、北東中国全体と満州に雨雲をもたらす。
従って、別のルートをたどることにした。
すなわち、中央ロシアとシベリアを横断してヤクーツクまで行き、高さ2000mのスタノボイ山脈をフォート・アジャンで越えてオホーツク海に出るコースである。
その後、最後の3000kmを概ね南に取り、長いサハリン島とアジア大陸の間を東京に向かうのである。
ちょっと見たところ、少し変わったルートに見える。
南ドイツから斜めに中央ロシアとシベリアを横断し東京より3000kmも北の北極圏に近い地点を通り、そこから3000km南下するのである。
しかし、一見したときに奇妙に見えるだけで、オホーツク海までの距離の約4分の3は、ほぼ大圏コースと呼ばれる地球上の2点間の最短距離であり、そのためこのルートの約1万1千kmはアムール渓谷を通るコースの1万kmに較べて僅かに長いだけである。
そしてこのコースは、より安全であった。
近づくことが出来ず、殆ど未知のシベリア奥地には非常に興味があり、我々自身 冒険に心躍る心地であった。
それでこのコースを選択した。
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[註]北部インドとバイカル湖の間の山岳地帯
蒙古を含む非常に広い地域を指しているが、ヒマラヤ山脈からチベット高原を指しているものと思われる。
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