2007年07月22日

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(飛行船:395) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(50)

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(ハースト新聞の特派員、ヴィーガント氏とヘイ女史)

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 世界周航(3)

その場合、ドイツの出版社はその差額の5万ドルを支払う必要があり、もしその損害補償が不十分なら、この話はなかったものにすると言うのである。

この二律背反に対処するために、商務相の意見を聞きに行った。

この件に関してフォン・ゲラルド氏から聞いた助言は驚くべきものであった。

彼は私に、ドイツ情報局(ヴォルフの電報局)にヨーロッパの報道権を与え、その見返りに2500ドルと設定されていた乗客1人分の乗船料を取ればよいと考えたのである。

まるまる5万ドルの費用を負担しなければならない。
2500ドル差し引いたとしても47500ドルである。

そして、政府資金からの補償は問題外であった!

当然、大臣の提案には同意しなかった。
その代わりに3社のドイツ出版社から合計で12500ドルを支払って貰う契約を結んだ。

かつて仕事をしていた西ドイツの大新聞は1250ドルでも支払えないと返答してきた。
彼らは馬鹿なのか?
私はそう思った。

少なくとも情報通によれば、ハースト新聞の売り上げは思惑通りで、その企業の勝ち得た名声とはかけ離れているということであった。

私はそれで、ハースト社の代理人カール・フォン・ヴィーガント氏とドラモンド・ヘイ女史を、様子の判らないまま記者として乗船者に加えることにしたが、実は並々ならぬ存在であった。

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[註]ヴィーガント氏とヘイ女史
関根著「飛行船の時代」によれば『ドラモンド・ヘイ女史は英国外務省高官の未亡人で、エジプトや北アフリカで仕事をしていたところを、ハースト社の記者カール・フォン・ヴィンガンド氏に巡り会い、記者として一本立ちしたいと売り込み、そのまま記者になった情熱的な、多少向こう見ずなところのある女性だった・・・』とある。
写真は Archbold著 "HINDENBURUG, an illustrated history" から転載した。

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