2007年07月20日

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(飛行船:393) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(48)

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(フリードリッヒスハーフェン上空を往くグラーフ・ツェッペリン)

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 世界周航(1)

エジプトへの飛行が、薄れていた関心を高めたことは確かであった。

最も若い機関員に至るまで、飛行船の乗組員全員の士気が上がった。

彼らは多くの美しい光景を眺め、沢山の経験を積み、この種の航海のすばらしさを体得できた。

そして、遠く離れた場所に対して、ある種の冒険に満ち、ロマンティックな気分を抱くようになったことは驚くには当たらなかった。

彼らは世界一周飛行を夢想し始め、やがて話題に上るようになった。

飛行船で何でも出来ると確信したからであった。

その飛行の構想は、私にとっても同じように、特別のものではなかった。

世界中の、あらゆる条件でツェッペリン飛行船の有効性を実証することと、あらゆる地域で経験を得ることはツェッペリン社の民間事業部門の仕事であった。

それを実現するために、世界周航より良い方法があるのだろうか?

同時にそれは飛行船の航続距離と行動半径に関する輝かしい証明を確立し、世界中に宣伝することが出来る。

この飛行の技術的可能性に関して、必要ならば2箇所の中継点を使うことが出来る。

レークハーストと東京郊外の霞ヶ浦飛行船格納庫である。

日本にある格納庫は世界大戦後、ドイツから賠償として搬送され、現地で再建されたもので、世界周航に当たってドイツの飛行船に使用できるかどうかは確認できておらず、支障となる可能性もあった。

だからといって話題に上っている世界周航に同意できないというわけでもなかった。

しかし、その件に関し、決心することは簡単ではなかった。

それには2つの理由があった。

第一は、一体誰がこの飛行の費用を負担するのか?
第二は、どのルートを取るべきか?
の2点である。


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