2007年07月19日

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(飛行船:392) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(47)

LZ127_DZR.jpg
(ウーバン氏のツェッペリン博物館で発行された絵葉書)

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 エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(9)

その間にも暴風雨はひどくなっており、全く冬の様であった。

ゲーテがファウストのなかで書いたような「緑の草原に小さな氷の粒が吹き付ける」程度の話ではなく、本格的な冬であった。

まだベッドに入ってなかった乗客は重いコートで再度身を包んでいた。

湿気を帯びた雪が操縦室の窓ガラスに凍り付き、5mm程度の氷の層を作ったので外が見えなかった。

このような状況での深夜の操船は危険であった。

両側に高山の聳えるダニューブ渓谷で、コースに従って飛行船の位置を保持することは困難であった。

しかし、意識して個人的にはいらいらしたそぶりを見せなかった。
それは視察委員に、飛行船がこのような悪条件のもとでも、安全に航路を選択して進行するかを見て貰おうと思っていたからである。

もし必要ならば、高緯度で北に転舵することも考えた。

しかし、非常に幸運なことにパッサウでダニューブ渓谷を抜け、何の支障もなく最後の区間に向かった。

ウルムに到達したときは晴れており、8時に格納庫が視野に入った。

その半時間後、81時間の飛行を終えて着陸した。

乗客から感激に満ちた感謝の言葉を聞いた。
おそらくヨーロッパで体験できる最も素晴らしいと思われるこの飛行に乗船した人それぞれに強い印象を与えたに違いない。

その後、彼らはツェッペリン飛行船の真の意味の友人になってくれたと思っている。

そして、事実そうであった。

 (エジプトへのセンチメンタル・ジャーニーの章、おわり)

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[註1]パッサウ
ドイツ南東部バイエルン州の都市で、オーストリア、チェコと国境を接する。

[註2]挿絵の絵葉書
メーアスブルクにあるハインツ・ウーバン氏のツェッペリン博物館で発行された絵葉書である。
DEUTSCHE ZEPPELIN-REEDEREI(DZR)は1935年3月22日に「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」の営業運航のためにフランクフルト・アム・マインで設立され、後に「LZ-129:ヒンデンブルク」もツェッペリン飛行船から移管された。
現在、ツェッペリンNTを運航しているフリードリッヒスハーフェンの会社と同名である。

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