2007年07月18日
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(飛行船:391) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(46)
(ベルリンの帝国議会議事堂)
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エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(8)
ウィーンでは、午後11時から飛行船を待っていてくれた。
ラジオの聴衆は飛行船がウィーンの上空から行うスピーチを待っていたのである。
ウィーンの市民も、この飛行船を建造するにあたって義援金を寄せており、その感謝のイベントがあると思っていた。
私は、自分でそのスピーチをすると言っていた。
しかし、ウィーン上空に到達したときは操縦で眼が離せなかった。
前日の緊張のあと、特に最後の2〜3時間はウィーンの善良な市民は私が約束を守らなくても仕方がないと思ってくれるのではないかと、ちょっと思いかけた。
それで、乗船していた帝国議会議長のローベ氏に、私の立場を説明してくれるように頼んだ。
彼は親切にも私に代わってスピーチをしてくれ、私よりもずっとうまくやり遂げてくれた。
あとで聞くと、ウィーン市民は彼のスピーチに充分満足したと言うことであった。
彼も満足したに違いない。
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[註]帝国議会議事堂
ドイツ帝国議会議事堂は帝政ドイツ統一から20年以上経って1894年に完成した。
1933年に放火により消失したが再建され、1945年にソ連軍が侵攻してきたときは要塞としても使われている。
このときの飛行には帝国議会議長も招待されており、エッケナー博士に代わってウィーン市民にスピーチをしたのである。
東西ドイツ統一後ドームはガラス張りの丸い展望ドームになっている。
写真はグラーフ・ツェッペリンから撮影されたものであるが撮影日時は判らない。
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