2007年07月12日
(飛行船:385) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(40)
(飛行船から見たエルサレムの高台)
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エジプトへのセンチメンタル・ジャーニー(2)
我々は「永遠の都」ローマに行く途で、古のオスティアの上を飛んだ。
何世紀にもわたって、良くも悪くも運命にもてあそばれた街である。
中世の支配者であったバチカンの庭園に太古の遺跡を見下ろし、雨の降り出した近代的イタリアの街路や広場を見下ろした。
そしてムッソリーニに電報で挨拶を送ることを思いついた。
「栄光の昔を今に伝える永遠の都であり、近代的首都として活き活きと繁栄しているローマに上空からご挨拶申し上げます。謹んで、この素晴らしい街のさらなる発展を折の利します。」
私はこのメッセージを通信士に手渡すとき、ちょっと意地悪く「ムッソリーニがこの街をどう思っているか知らないが」と言った。
ムッソリーニの返信は「貴下の親愛なるご挨拶に感謝します。恙ない旅行になるよう祈ります。ムッソリーニ」となっていた。
ムッソリーニが何を伝えようとしているのか敢えて推測しようとは思わなかった。
飛行を続け、ナポリ湾に入った。
そこではナポリ、ベスビアス、カプリ、ソレント、それにアマルフィが妍を競っていた。
「ナポリを見てから死ね!」という。
「本当に!」と思った。
「だが、ツェッペリン船上から!」
暗闇が近づいた頃、イタリアの長靴のつま先に到達した。
右後ろに既に暗くなったメッシナ海峡を眺めて、チレニア海からイオニア海に入った。
外には何も見えず、乗客達はきれいに飾ったテーブルの「蝋燭の友情の炎」の周りに着席していた。
海亀のスープ、アスパラガス添えのハム、野菜とサラダ付きのローストビーフ、セロリのロクフォールチーズ添え、それにフリードリッヒスハーフェンで積み込んだ上等のナットケーキ、それにワインがたっぷりあった。
この暗い海をわたる静かで安定した飛行で、この食事を楽しむことの出来る乗客は我々の提案に同意してくれると考えたかった。
次の朝、彼らは席について朝食を摂りながらクレタ島の海岸を眺めていた。
夜のうちに非常に強い南東の風によって飛行コースから幾分北に逸れ、そのため大いに進行が遅れていた。
南東風がこの長い島の北側に聳える山岳を越えるのを邪魔しなければ良いと気になった。
北岸に沿って静かに平穏に飛んでいたが、船上の権威ある学識経験者方は記憶に残る光景を眺めていた。
同じように、航路上やや北にあるキプロス島も通過した。
ここでは多くのローマ人、トルコ人、ベニスの人達、十字軍などが、戦略的に重要な地域として攻防を繰り返していた。
そこからハイファに舵をとり、この美しく船の出入りの多い、湾に護られた港を横切った。
そのあと、海岸線に沿ってテルアビブを通過し、エルサレムに向かった。
このあたりは、世界史に残る無数の出来事が展開された舞台であり、クレタ島と同様に歴史と伝説に満ちた地域であるが、この光景を眺めてその感動を呼び起こすことは何と難しいことか!
古いギリシャ文明や、聖書時代のキリスト教遺跡がそこここにあるが、その共通した礎がいまなお我々の精神的基盤になっている。
この広報飛行で、乗客に他で経験することの出来ない特別な感動を体験して貰うことにした。
死海の水面は海面レベルから約400m下にある。
このツェッペリンで、海面下の高度を飛ぶ機会を前にして体験したいという気持ちを抑えることが出来なかった。
エルサレムは海抜約800mであり、そこから15分で高台の縁になり、そこから峡谷に降りると、その底に死海があった。
夕刻であった。
上がったばかりの満月が弱い光で静かに照らし、大きな湖は地下の世界のように神秘的に薄闇の中でそれを映していた。
ゆっくり沈下した。
注意深く感触を確かめるように下に下に降下し、水面上100m以下で空中に静止した。
周りの高地を地下室から眺めるように見上げた。
いつもは海面上高く空を往く飛行船が、いま海面下約300mで飛んでいることに奇妙な興奮を覚えた。
ライン産のワインを2本開け、この特別な経験に祝杯を挙げた。
後日、この時のことを単純ながら吃驚させる冗談に使った。
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[註1]オスティア
古代ローマの港町。
ローマの最初の植民地といわれている。
今はローマを流れてきたテヴェレ川の堆積で海岸線から内陸に埋もれている。
[註2]エルサレムの写真
上掲の写真は1931年に再訪したときの撮影である。
1929年3月に死海に行ったときは夜間であったため撮影出来なかった。
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