2007年07月08日
(飛行船:380) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(36)
(この復航に積み込まれた記念絵葉書)
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グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(15)
飛行船は陸地の上、具体的にはニューファンドランドの山岳の上に居るはずで、この激しい嵐はこの山で阻止される筈である。
これはいったいどうしたことだろう?
ちょうど4時に、レース岬から快晴という朝の天気予報を受信して、わずか3時間も経っていないのに、北に向かう進路から270kmも離れていないのにこれほど吹かれるのだろう?
雲がどこか切れていないかと下を注視していた。
6時半、ひどいピッチングとローリングから脱して半時間経ったころ下に広がってる雲の間から一瞬、下が見えた。
雲の穴から、最初には見えなかった低い月の鈍い光の中で何かが見えた。
それは崖のようであったが、特に視力のよいものを運転席に立ててそれを見極めようとした。
最初に低く横たわる雲の断片、霧の薄い広がり、泡立つ波を報告してきた。
当直と相談しながらよく判らないまましばらく経ったころ、雲の大きい穴からはっきりと岩山の上にいることが判った。
同時に、4時以降、東に舵を取っていたにもかかわらず北に猛スピードで走っていることを確認し、改めて東に進路を取るように指示した。
まもなく、偏流のため右か左に振られていることが明らかになった。
嵐は南南東から秒速33〜34mで吹いていると判断した。
速度を落として時速90kmにして、時速29〜32kmで後退するすることにした。
これは価値ある発見であった。
しかし、まだニューファンドランド上空で、どうすればいいのか思いつかなかった。
どのくらい南からの強風で北に流されたのだろう?
先に述べた方法で4時に観測した風を計算すると秒速15mであった。
間違いないと思うがおそらく、霧の中を高緯度まで昇り、そこで秒速34mの強風に遭遇したに違いない。
それから約2時間半経過していた。
推論すると、約340km北になり、ニューファンドランド南岸上空に居ることになる。
風力測定に従って、針路を当初の東から南東に変更し、偏流角90度として地表に対して北東にコースをとった。
徐々に霧も晴れ、昇ってきた満月の明かりでゆっくりと地表が眺められた。
木の茂る小さな島の列びの上を飛んでいた。
開水面を横切ると遂に広い湾に出た。
南東に燈台の光芒が光ったが、南岸のどの燈台もそんな光は発していなかった。
もうそれ以上陸地は見えず、コンセプション湾かトリニティ湾のいずれかを越えたと思った。
両湾は北東に開いていたからである。
帰国してから、これに関して掲載されたニューファンドランドの新聞を読むと、10月29日の夕刻、トリニティ湾で何人かの漁民が、雲の中に巨大な飛行船を見たと書かれていた。
もし、誰かが霧の中に入った午後4時から、トリニティ湾上空を飛んだ8時までの飛行船の軌跡を辿ると、南からの強風で480km近く北に流されたことが判るであろう。
事実、風はこの間ずっと平均秒速30mで吹いており、これはビューフォート風力階級10から11の強度に相当する。
この飛行は気象学者の間で何度も討議されており、あるデンマークの気象学教授は、天候がそれほど悪くなく筈がなく、我々の報告が大変大袈裟になされたことが原因であると固執した。
月曜の朝の天気図も、火曜の天気図にさえレース岬の嵐は予想されていなかった。
しかし、我々の私的ではあるが正確なニューファンドランド上空の観測と、東向きコースを進んでいる間の驚くべき偏流には反駁することが出来ないと思うし、事実月曜の夕方、数時間ハリケーンによる荒天に捉まった。
その夜、レース岬の南東240kmに居た英国汽船から、同船の位置のあとに簡潔に「ひどい南東の強風」とつけ加えられ発信された無線を受信している。
当方からは「ありがとう。こちらも同じように強風を受けている」とのみ返信し、強烈な冒険に立ち向かった。
しかし、この件で2つの貴重な教訓を得た。
第一に、ニューファンドランド沖の海域では、冷たいラブラドル海流と暖かいガルフストリームが混じり合い、特に強烈に、突然天候が急変し、気流条件によっては嵐となること、第二に、我がグラーフ・ツェッペリンは、そんな条件にも耐えられるということである。
その異常な応力で、船体構造を支えていた張線が幾本か破断してしまった。
確信に満ちて、未知なる冒険に立ち向かった。
正確な位置が判らないまま、コンセプション湾の湾口は9時の時点で我々の向かっている方向であると推定した。
約7時間後、航行中の汽船から船位を受信し、推定が概ね正確であったことを確認できた。
北緯52度、西経48度であった。
出来るだけ早く、まだ南風の吹き荒れている海域から抜け出すため、北東への進路を進んだ。
もし、強風の中で南南東の針路を取っていれば、その位置から動くことも難しい筈であり、北東コースだけがそこから抜け出す途であった。
飛行は特に何事もなく継続された。
ニューファンドランドの経験に較べれば、風は強かったものの静かなものであった。
気温は、季節と北緯を考えれば非常に穏やかで、10℃に近かった。
特筆すべきは眼下に広がる光景で、ラブラドル海流に流されてきた氷山や氷塊が眼を楽しませてくれた。
グリーンランド沿岸の私の好きな景色であった。
午前9時、風は秒速20〜25mに低下しはじめ、昼頃にはわずか17m/秒の風が吹いているだけであった。
飛行船は対地速度80km/時で飛行しており、2時間後には僅かに西よりの穏やかな微風しか吹かない海域に入った。
北緯54度線の北まで来た。
ここから南東に向けて、英国海峡の入り口に向けて約70ノット(毎時130km)で直進した。
そして、真夜中に西経20度に達し、残りの約2300kmを、翌日の夕方までに行けると期待した。
この期待は、海洋気象台から我々にもたらされた「スコットランド西の低気圧域は北東方向に移動しつつあると観測される」という気象情報に基づくものであった。
もしそれが事実なら、西ないし北西の冷たい風が吹き、飛行船の速度は最低80ノット(毎時150km)に達することが可能となる。
しかし、残念なことに翌朝になったため、そうはならなかった。
帰途もまた、幸運には恵まれなかった。
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[註1]ビューフォートスケール
海上での風の強さを表す風力階級表で、1805年に英国海軍のビューフォート提督が提唱したといわれている。
気象通報で流される風力はこれに拠っている。
風力0:煙がまっすぐ昇る(0.0〜0.2m/秒)
風力1:煙がたなびく。風力計では計測できない(0.3〜1.5m/秒)
風力2:顔に風を感じる。風力計で計測可能になる(1.6〜3.3m/秒)
風力3:木の葉が絶えず動く。軽い旗がはためく(3.4〜5.4m/秒)
風力4:埃が舞い、木の枝が動く(5.5〜8.0m/秒)
風力5:小さな木が揺れる。水面に漣がたつ(8.0〜10.7m/秒)
風力6:大枝が動き、電線が唸り、傘をさすのが困難になる(10.8〜13.8m/秒)
風力7:木全体が揺れ、風に向かって歩くのが困難になる(13.9〜17.1m/秒)
風力8:木の枝が折れ、立っているのが困難になる(17.2〜20.7m/秒)
風力9:簡単な構造物が倒壊する(20.8〜24.4m/秒)
風力10:立木が倒れ、かなりの被害が出る(24.5〜28.4m/秒)
等々1946年にパリの国際気象委員会では風力17まで決めている。
[註2]最初の東航で運ばれた絵葉書
挿絵に使った絵葉書はコレクションの一つである。
このグラーフ・ツェッペリンの復航で送られたもので、1928年10月21日の消印があり、グラーフ・ツェッペリンの10月28日のスタンプもある。
裏面にはフリードリッヒスハーフェンの11月1日のスタンプも押印されている。
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