2007年07月07日

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(飛行船:379) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(35)

Newfoundland.jpg
(ニューヨークからニューファンドランドまでの地図)


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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(14)

ほんの2〜3分後、反対側に出て、気温が16℃まで上がっているのに気がついた。

風は南西に変わっており、相変わらず秒速15mの強風であった。

光景がすっかり変わっていた。
空はきれいに晴れ上がっており、輝く青空の下を航行していた。

低気圧域の遠い端にいた。
いまや、前夜あれほど良さそうに見えた天気図に表示されていた高気圧領域を安定して飛べるようになると喜んだ。

我々全員が、ニューファンドランド南東端のレース岬から午前中ずっと「天候・快晴、南東の風」という天気予報の通りに望みが叶うことを確信していた。

それはニューファンドランドの南岸には嵐を呼ぶ風はないということを意味していた。

それで青い海の上を気分よく、南西の風にも助けられて80ノット(時速140km)以上出して飛んでいた。

しかし、思うようにはならなかった。

午後4時に、北緯43度、西経56度のあたりで霧に入った。
こんな状態はニューファンドランドのずっと南ではよくあることであった。

最初、霧は高度200〜300mの高度で、密な雲の天井のように横たわり、その下を飛ぶことが出来た。

しかし、やがて霧は海面まで降り、飛行船はその上に昇った。

その後急速に高く高く昇り、午後4時半には700mに達し、ほどなく900mになった。

もうこれ以上上昇したくなかった。
この高度ではガスを放出し始めており、これから大海を渡り始めるときにガスの放出で飛行船を重くしたくなかったのである。

それで濃い霧の中に入った。

その直前の4時頃の観測では、風速15mの風が南から吹き、6時にはレース岬の270km南で霧から抜けた。

霧の中を航行しているあいだ、当然ながら何処を飛んでいるのか判らなかった。

それは面白くなかったので辛抱強く海か空が見えるのを待っていた。

この「盲目飛行」ではニューファンドランドの低い山岳より充分高いところを飛んでいたし、その山岳は270〜370km以上北にあったと推定されたので全然危険ではなかった。

しかし、動揺もなく静かに1時間、霧の中を航行していたとき「グラーフ・ツェッペリン」は、突然ピッチング・ローリングを始めた。

この動揺は継続するばかりか、さらに激しくなった。

飛行船は揺られて継ぎ手は軋んだので、エンジン出力を絞り、半速に減速した。

飛行船の動揺は続き、だんだんひどくなって経験したことのないほどになり、何処まで耐えられるのかと狼狽した。

何が起きたのだろう?

何がどうなったのだろう?

明らかに、ひどく荒れた嵐に突入していたが、このひどいピッチングをどう表現すればいいのか判らない。

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[註1]飛行船の航行状態
まだ、レークハーストを離陸して1500km程度しか進んでいない。
読者には少々退屈かも知れないが、実際に総指令として乗客・乗員の命を預かって飛行船を操船し、北大西洋を往復したエッケナー博士が運航状況を詳述しているのでもうしばらくお付き合い願いたい。
彼の著書では、乗客の船上生活どころか誰が乗っていたのかすら殆ど記述がなく、まして食事のメニューとか席の配置とか服装などには触れられていない。
それより大空を航行して体験した、大自然の恩恵や優しさ、それに恐ろしさを知って欲しかったのであろう。
 資源を浪費し地球を汚しながら力ずくで世界の空を飛びまわっている民間航空のあり方を考えさせられる。

[註2]北米東北岸の地図
貼付した地図はフィリップ社のポケット地図帳から部分複写したものである。
左下隅が深夜出発したレークハーストのあるニュージャージーで、右上隅にニューファンドランドのレース岬が見える。

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