2007年07月05日

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(飛行船:377) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(33)

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(正面から見たパレード:R.Archbold,K.Marschall著"HINDENBURUG"から転載)

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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(12)

やっと、夕方の天気図を詳細に検討する時間が出来た。

担当の気象予報士が持ってきてくれたものであるが、彼は良いものをもたらしたことで非常に満足げに喜んでいた。

彼は「大西洋はとても順調なようです。」と言った。

事実、その天気図を一目見ただけで北大西洋でこれより望ましい状態はないように思えた。

レークハーストからニューファンドランドまで、強い北西の風が優勢で、殆ど飛行船の速度に影響はなく、ニューファンドランドからは大きな高気圧帯がアイルランドまで北大西洋のほぼ全域を覆っていた。

それで、幾分上下しながら冷たい北西の風に乗ってニューファンドランドまで行った後は殆どの航程を快晴に恵まれて飛べるように思えた。

その上ニューファンドランド経由のルートは大圏コースにのっているので最短距離である。

しかしながらニューファンドランドまでと、その南の空域からはたった1隻からしか気象情報がなく、何かわからないがちょっと気になった。

冷たい北西の風がここに到来すれば驟雨の報告があって当然だと思ったのである。

一方、レークハーストから直接、通常の汽船の通る航路に沿って東に舵を取ると寒冷な北西の風が確実にコース上のガルフストリームに雷雨と乱流を起こすのであまり好ましくなかった。
そんな乱れが低気圧の谷に当たるとバーミューダまでの全域に広がるおそれがあった。
それが天候に何らかの変化をもたらし、バーミューダ経由の飛行船の進路にぶつかる可能性がある。

往航で低気圧にひどい目に遭ったので、それは避けたかった。

従って、用心しながら大陸とガルフストリームの間の冷水域から出来るだけ遠ざかりながら大圏コースを行くことに決めた。

このとき天気図を一緒に検討した者のなかで、ここに述べたような不確定な事柄について我々を待ち受けていたショッキングな大事件を予測した者は誰もいなかった。

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[註1]ウェザーレポート
1895年にイタリアのマルコーニが無線電信装置を発明し、英国南岸ボーンマスとワイト島の間で交信実験を行て1899年に電気工学会に論文を発表し、両国の許可を得て英仏海峡で交信実験が実施されて以来、日・英・仏・伊各国海軍が軍艦・軍港相互の運用実験を行っている。
商船の事例では1909年に米東海岸沖で濃霧のため米商船リパブリック(15378GT)と伊商船フロリダが衝突した海難事故でリパブリックからの無線で救助船が30分以内に現場に到着し1700人の人命を救助している。
現在では様々な通信手段が普及したため、送受信に習熟を要するためモールス信号はアマチュア無線や漁業無線、野戦通信など以外用いられなくなっている。
当時、航洋船舶では無線局が開設されて、定時の気象情報の交換が行われていた。
船舶の無線局は無線を傍受すると同じメッセージをリピート発信することでリレーして受信局に届けるため、通信士は24時間3直体勢であった。
気象情報もその船舶が無事でその地点を航行しているということを兼ねて、海上船舶から発信されていたのである。
小生も若輩の頃、気象台も測候所もない太平洋や大西洋の天気図は誰が何処で調整しているのか不思議に思っていた。
船舶の常時運航しているコースからは気象情報が殆どないと言うことに何故かと疑問を抱くのはこのためである。

[註2]アメリカでの歓迎
エッケナーは、自著では殆ど触れていないが、アメリカでの歓迎は大変なものであった。
見出しの写真は前回に引き続き、ニューヨーク・ブロードウェイでの歓迎パレードである。
ZRⅢ(LZ-126:ロザンゼルス)を引き渡しに行ったときは第30代大統領クーリッジにホワイトハウスに招かれているが、グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行では第31代のフーバー大統領に「現代のコロンブス」と激賞されている。

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