2007年07月03日

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(飛行船:375) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(31)

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(夕闇迫るNY上空のグラーフ・ツェッペリン: Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )

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(ニューヨーク上空のグラーフ・ツェッペリン: Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )


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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(11)

アメリカでは、我々を出発時点から非常な興味を持って見守っていた。

飛行船の受けた損傷の記事が海軍省の電報の報道で広まり、それを知って非常な緊張で待ち受けていたいたのである。

着陸後に知ったことであるが、否定もされずに何時間も広まっていた最も突飛な噂は、損傷の修理が長引いたことが原因で減速したことを連絡できなかったというものであった。
飛行船に電力を供給する発電機は、気流でまわるプロペラで駆動されていた。

それが、異常な緊張を大きな安心と助かるという気持ちに変える、唯一必要なものであり、そのために大喜び出来たのである。

損傷を受けながら飛行を達成した飛行船は、大惨事を予測した人達から非常に評価された。

こうして不幸な出来事は幸運な結末を迎えることが出来た。

ワシントン上空を低空で飛行し、ボルチモアからフィラデルフィアをまわり、ニューヨークに来た我々の到着を熱狂して待ち受けてくれた人達の様子を見ることが出来た。

レークハーストに着陸する前に、半ば諦め失いかけていた飛行船を、多くの人に見て貰ったことはよかったと思っている。

ニューヨークから、およそ100km離れた 目的地レークハーストに着いたときは暗くなっていた。

2万〜3万人の人々が根気強く待っていてくれて、我々の歓迎は嵐のような熱狂であった。

歓迎と歓呼とエールが大声で叫ばれるなか、嵐に揉まれるように地表に降り立った。
群衆は警官の厳重な警戒にもかかわらず接地するやいなや、荒海に寄せる波のように飛行船に押し寄せた。

まわりに取り囲まれて飛行船も人も身動き出来なかった。

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