2007年07月02日

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(飛行船:374) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(30)

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(チェサピーク湾マチポンゴ:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(上下の写真とともにこの時撮影されたもの:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(ワシントンの国会図書館:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(リンカーン記念堂:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(10)

天候は確実に回復しつつありその中を減速状態で飛んでいたが、アメリカ海軍省にもう要請していた援助は不要になったという2度目の電報をおくる様に指示した。

しかし、完全に緊張から解放されたわけではなかった。
入電してくる天気予報は、北大西洋上に勢力の強い別の低気圧の存在を知らせていたからである。

この南よりのコースは、何と次から次へと驟雨前線が来るのだろう。

もし、飛行船が損傷していたらどうしよう?
大洋を跨ぐ民間航空の有用性を実証するために用意された、新「旅客用飛行船」による最初の飛行に、その海洋でこんなに意地悪な秋の気まぐれな空模様に遭うのだろう?

たとえ私が乗客に平静を装ったとしても見抜かれるに違いない。

その夜と翌日の殆どの時間、比較的順調に進んだ。

しかしながら夕刻、バーミューダ・グループと呼ばれる気団に遭った。
強い西風で、一見 また天候の悪変のように思われた。

前方に相当大きな擾乱が見えた。
間違いなく強い驟雨をもたらすに違いない。

どうしよう?

迂回してフロリダに南下しようか?
どうするか決めかねていた。
おそらく10〜12時間の回り道になるに違いない。
ツェッペリンに相当な消費を強いることになるだろう。

それとも、損傷した飛行船で驟雨前線に突っ込むべきだろうか?

当直士官を呼んで、尾翼のカバーが驟雨のなかで激しいピッチングに耐えるかどうかについて意見を訊ねた。

彼は懐疑的であった。

そのとき私の下した決断は、全航程のなかで最も困難で重大であった。
驟雨の中を行くことにしたのである。

真夜中には、その中心にいた。

飛行船は激しく上下した。
いやな雹混じりの大雨がガタガタとキャビンの壁や窓に吹き付けた。

しかし尾翼カバーは有難いことに無事であった。

あとで、日の出に小さな破れを見つけただけでカバーは持ちこたえていた。

猛烈な闘いはおよそ1時間で終わり、その後は風も弱まり、時速43〜55km程度になった。

驟雨域の気温は23℃から8℃に下がっていた。

気象学上のデータの意味がわかる人には、対照的な異なった気団がぶつかり混じり合って異常に激しい乱気流が起こることがお判りと思う。

遂にとうとう来たのである。

そこからハッテラス岬までの航海日誌には「静かな海、楽しい旅行」と書かれていた。

10月15日午前10時ころ、チェサピーク湾口の海岸線を通過し、同湾を横切ってワシントンに向かった。

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[註1]ハッテラス岬
北米大陸東岸(ノースカロライナ)の岬で、ガルフストリームが北上するのでこの沖は良い漁場になっている。
このあたり、パムリコ湾・アルベマール湾からチェサピーク湾岸にかけて湿地帯が広がっている。

[註]チェサピーク湾
ハッテラス岬の北方にある北に長く入り込んだ湾であり、ボルチモアはその湾奥にあたる。
ワシントンを流れるポトマック川もチェサピークに流れ込んでいる。
メリーランド州(東岸)と、バージニア州(西岸)に挟まれている。


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