2007年06月25日
(飛行船:367) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(23)
(最初の渡洋飛行の航跡:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)
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グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(3)
ほかの方向についても、代案を追加した。
最も短く、最も北よりのコースで、北スコットランドを越え、アイスランドの南岸に近い航路である。
今回はこのルートを選んだ。
しかし当時、我々の航法はまだ原始的なものだったので、危険性を伴っていた。
飛行船が、スコットランドやアイスランドの高い岩山に、晩秋の霧と低くたれ込める雲のなかを、船位を正しく確認することも出来ず、暗中模索で混乱している情景を想像した。
いや、これほど危険な実験の対象になっているとも考えていない20人の乗客は、客を乗せて海洋を渡る最初の飛行に、確信を持って信用してモルモットとなっているのである!
それは、最初の賽の目に賭けるには高価に過ぎた。
このように、長い南ルートの難所と、環境的に非常に危険な北ルートとのあいだでためらい、落胆し、迷っていた。
この二律背反のなかで、突然10月10日に予定されていた出発を延期することを決断し、もし11日までに天候が回復する微かな望みでもなければ、南ルートを取ることにした。
このまま、さらに躊躇していれば飛行船の信用が疑われると思ったからである。
当然ながら1日と言えども延期は、出発を見ようとここに来る数千人の人々や、ホテルその他フリードリッヒスハーフェンの各施設にとっても好ましいことではない。
多くの人が「飛行船旅行の運航の規則正しさと、スケジュールの正確さを見ようと思っただけなのに!」と言いつつ留まり、一部の人は腹を立て憤慨して去っていった。
賢い人は、ちょっとのことで揺れ動く大衆の意見にかかわりを持たず、さらに賢い人は、この意見が後に大きな重みを持つことを見抜いていた。
煽動者は、それをどう扱うか心得ており、その利権にありつこうとしていた。
そして、実際に庶民の一部はグラーフ・ツェッペリンの建物に押しかけた。
それで渋々ながら飛行を延期した。
しかし結果から見ると、私は運がよかった。
10月10日に激しい雨を伴った物凄い嵐がフリードリッヒスハーフェンを襲ったのである。
誰もこの天候ではとても飛行船が飛び立てないと判り、私はひどい天候を予測した優れた気象学者だと褒められた。
これが実績となって、出発地点の天候状況を信頼してくれるようになり、特に私については、長距離の飛行中も信頼して貰えるようになった。
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[註]航跡図
出発前の暴風もあって出発直前まで悩んだが、実際に飛行したのは往航が南側の実線、復航は北側の実線である。
破線はZRⅢ(LZ-126:「ロサンゼルス」)を空輸したときのコースである。
大飛行では、その都度偏西風や貿易風の強さ、それに気圧配置を予測して決定していた。
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