2007年06月13日
(飛行船:355) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(11)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(3)
私は自信を持ってその飛行に期待した。
これは明らかに、単に偉大な真剣さで未知に挑む挑戦にとどまらず、参加者の生命だけでなく、ツェッペリンの目論見が我々の成功に掛かっていることは明白であった。
この状況で失敗すれば、フリードリッヒスハーフェンの会社も事業を継続することは出来ず、将来に残された硬式飛行船の伝統と信頼も失ってしまうことになる。
それだけでなく、イギリスやアメリカのように、躊躇しながらもツェッペリン類似の飛行船を造ろうと努力を続けている国をも確実に落胆させることになる。
私の考えでは、我々に与えられたこの機会を利用して、硬式飛行船の存在価値を証明することが出来なければ、現在支援してくれる人のいるツェッペリンの理念は死んでしまい、伯爵が注意深く構築した組織ごと失ってしまうことになる。
このように、我々は大きな賭けに臨んでいるのである。
それは、如何に信念や確信を持って臨むにしても、常に賭である。
人は、常にある種のつきを必要とする。
状況が良ければ無くても済むが、特に状況が思わしくないときは、それが障害となる。
そして、何時、それを間違いないものにするのだろう?
私は自分に言い聞かせた。
我々は既に、ツェッペリンが激しい風雨に耐える能力を示したことを知っている。
だが、北大西洋であんな暴風が吹くのだろうか?
陸上で暴風の進み方、特に大地の熱による乱流はよく判っている。
しかし、暴風の移動速度は海上ではさらに速く、雲はおそらく暴風の乱流を加速させることであろう。
おそらく、この点は経験のみに基づく我々の知識と大きな違いがあるに違いない。
特に注意しておかなくてはならないことは、飛行船は浮力で飛行するわけであり、燃料を経済的に使い、おそらく80時間を要すると思われる飛行の間、すべてのエンジンに供給し続けることである。
もし、強い西風が継続して吹く状態で、北大西洋上で非常に悪い気流が生じた場合、ガソリンを使い果たす危険性がある。
これらのことを考慮して出発日を決定した。
乗組員は大騒ぎとなり、なかには不平を言うものも居た。
10月12日の早朝、格納庫に収容されていた飛行船は出発準備が整った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[註1]
見出しの写真は「ミリタリーエアクラフト9月号別冊」(デルタ出版:1999年1月発行)に掲載された写真である。
1926年にアメリカに出発する際のツェッペリン社運航幹部と代表団の写真で中央に立っているのがエッケナー博士である。
[註2]
ドイツ以外で硬式飛行船の建造に熱心であったのはイギリスであった。
「R34」はドイツのツェッペリンより早く大西洋を往復横断している。
アメリカは独英に追いつこうとしていた。
このため「L49(LZ-96)」を調査して「ZRⅠ:シェナンドア」をフィラデルフィア航空廠で作ったものの、「ZRⅡ」はイギリスに発注し(「R38」)、「ZRⅢ」はドイツに建造させたのである。
このほかでは、早い時期にフランスのゾディアックが木骨硬式飛行船を建造している程度である。
日本も第一次大戦の戦勝国として飛行船1隻と格納庫1棟の分配を受け、解体して船積みされ日本に送られた。
格納庫は霞ヶ浦の海軍航空隊に再建され「グラーフ・ツェッペリン」来航時にこれを格納、整備したことは良く知られている。
但し、飛行船の方は何処に陸揚げされ、どのように処分されたのか明らかでない。
"(飛行船:355) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(11)"へのコメントはまだありません。