2007年06月12日

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(飛行船:354) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(10)

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(建造中の「LZ-126(ZRIII)」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-126」の乗客用キャビン:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-126」のマイバッハ・エンジン:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-126」のガス嚢:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(着陸体勢の「LZ-126」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)


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 ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(2)

アメリカ軍事委員会は、直ちに我々の提案に興味を示し、海軍省と交渉の結果、アメリカは、その飛行船をアメリカで完全な状態で受け取るという条件で、80万ドルの代わりに新造飛行船を受け取ることを快諾するという結論に至った。

納入のための飛行は、飛行船の耐航性を証明することにもなる。

ツェッペリン社はこの条件を受け入れたが、これで交渉が終わったわけではなかった。

なぜなら、我々自身で大西洋を横断するように要求されている飛行船は、戦争末期の飛行船と同様、最低限7万立方mの大きさが必要であることを判って貰えるように説明する必要があった。

しかし、ロンドン条約議定書の条件下では、3万立方m以上の飛行船は許可されていなかった。

おまけに、その飛行船は80万ドルでは建造することが出来ず、最低でも90万ドル必要であった。

従って海軍省はこの場合、ロンドン条約議定書の対象外とし、追加の10万ドルをその財政のなかから用意しなければならなかった。

政府と、アメリカ政府と、ツェッペリン社の間の契約はすべて同じ日、同時に署名を交わされた。

その日は、契約の締結に尽力していたラテナウ書記官が暗殺された日であった。

飛行船の建造は年内に開始された。

容量71990立方mで、マイバッハ社製350馬力エンジン5基を搭載するものであった。

3人の米海軍技術士官が建造を監督し、ツェッペリン社の技術者と詳細な打ち合わせをするためにフリードリッヒスハーフェンに駐在した。

この事により、素晴らしく調和のとれた共同作業が実現できた。

1924年9月末に飛行船は完成し、ボーデン湖上で最初の短時間の飛行を行った。
そのとき、非常に強い風雨に遭ったが、このため飛行船船体強度の確認が出来たので、このスコールに出遭ったことは幸いなことと言うべきであろう。

何度かの試験飛行を行って欠陥のないことを証明した後、大西洋横断飛行の出発は10月12日と決められた。

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[註]
米海軍向けに設計され、新造された「LZ-126」は写真で見るとおり、索敵・哨戒用の装備はなく、渡洋旅客飛行船であった。
エッケナー博士自身が「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」は大洋横断旅客用飛行船のプロトタイプと言っていたが、「LZ-126」はさらにその事前試作船であったと思う。
乗客用キャビンを後部に並べた指令ゴンドラの形式も、5基のエンジンゴンドラも「LZ-127」と同じ形式である。
この設計・運用の実績から船内中央通路や、燃料にブラウガスを採用するなどの改良を加えて出来たのが「LZ-127」であると見るべきであろう。

米海軍も、ツェッペリン型硬式飛行船の設計・建造・運用を含めた技術導入のために建造させたものと思われる。
建前としての用途は、飛行船要員訓練用、いわゆる練習船であったが、「ZRⅠ:シェナンドア」、「ZRS4:アクロン」、「ZRS5:メーコン」が何れも事故で短命に終わったのに対して1939年1月に解体されるまで寿命を全うしたことはよく知られている。


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