2007年06月11日

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(飛行船:353) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(9)

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(海軍飛行船「L71(LZ113)」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(1)

硬式飛行船「ツェッペリン」は、偵察用あるいは攻撃用兵器として、第一次大戦における特定の軍事的価値として以外に扱われることはなかった。

当初、飛行船のガス容量は2万立方m、上昇限界は2000m、時速74〜80kmであった。
しかし、それで具体的な障害に出会うことはなかった。

飛行機はまだ幼児期であり、有効で組織的な対空防御は存在しなかった。
変化は速く、防御はより効果的となった。

これに応じて飛行船にも改良が加えられた。

3万、3万4千、5万7千立方mと大型化して、上昇限界も5000mに達し、時速115〜120kmと高速になり、強風下でも飛行できるようになった。

終戦まで続く、攻撃と防御の競争であった。

しかし、1916年になると燐による焼夷弾が使われはじめ、同時に飛行機の上昇性能が飛躍的に向上したので、陸軍は飛行船の使用を諦めた。

ただ、ドイツ海軍のみが使用を続け、しばしば爆撃(特にロンドン)を実施し、北海の偵察飛行を行っていた。

飛行船は、大きさで7万立方m、上昇限界は7000mに達し、ツェッペリン飛行船の活動実績から、非常に大型のツェッペリン飛行船は、危険で効果的な兵器であるという軍事的価値を評価されている。

それゆえ、いわゆるロンドン条約議定書はドイツに容量3万立方m以上のツェッペリン飛行船の建造を禁止したのである。

これは、ツェッペリン社とアメリカ軍事委員会がベルリンで、ツェッペリン社が米海軍省のために飛行船を造るべきかどうかの討議が開始されていた1920年時点のことであった。

終戦時に、残った4隻のツェッペッリン飛行船が押収され、後日 連合国で分配されることになっていた。

これらの飛行船は整備中で、海軍飛行船基地で海軍兵によって管理されていた。

しかし、降伏したドイツ海軍艦艇を、乗組員が英海軍基地スカパ・フローで自沈させ、飛行船の乗組員がこれを知ったのである。
彼らは飛行船を格納庫で破壊してしまった。

連合軍はこれに対してそれぞれの国に賠償を請求し、アメリカに対する賠償額は80万ドルとされた。

これが、ツェッペリン社との交渉の始まりであった。

我々は、補償を金で支払うのではなく、代船を建造することを申し出た。

この提案を政府や財務省を通じてではなく、直接にアメリカの軍事委員会と折衝することになった。

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[註1]
写真は大戦末期の1918年年に完成した海軍飛行船「L-71(LZ−113)」である。
ガス容量62200立方m、240馬力のマイバッハエンジンを7基装備し、時速131.5km、上昇限度7000m、搭載量45.5トンであった。
海軍飛行船隊の指揮官シュトラッサーは、同型船「L-70(LZ-112)」に乗って1918年8月5日、「L-53(LZ-100)」、「L-56(LZ-103)」、「L-63(LZ-110)」、「L-65(LZ-111)」と共にロンドン爆撃に出撃し、迎撃戦闘機に撃墜され戦死した。

[註2]
関根氏の著書「飛行船の時代」(丸善ライブラリー)によると、アールホルン海軍基地で5隻の飛行船が破壊されたことになっている。
天沼氏の「飛行船ものがたり」(NTT出版)によればノルトホルツの基地でのことのようであるが隻数その他詳細は記載がない。

[註3]
アメリカは大戦中フランスで拿捕された高々度飛行船「L-49(LZ-96)」を参考に、最初の硬式飛行船「ZRⅠ:シェナンドア」をフィラデルフィアの海軍航空廠で製作し、部品をレークハースト海軍基地に運んでここで組み立てられた。
浮揚ガスとして水素の代わりにヘリウムが用いられた最初の硬式飛行船である。
2隻目は、大西洋を往復した「R34」などの実績のあるイギリスから購入することになり、[ZRⅡ」となる筈であった「R38」が建造されたが1921年8月23日、試験飛行中に墜落し、17名の米海軍から派遣された艤装員を含む44名の犠牲者を出した。
ツェッペリンが賠償交渉の席上、80万ドルの代わりに代船の新造を提案したのはこの事故とほぼ同時期である。
この交渉の結果、建造されアメリカに納入された「LZ-126:ロサンゼルス」は浮揚ガスに水素を充填して空輸され、レークハーストでヘリウムに置換された。
ここで正式に「ZRⅢ」と命名されたのである。
ちなみに、グッドイヤー・ツェッペリン社で建造した「アクロン」、「メーコン」は、それぞれ「ZRS4」、「ZRS5」となった。


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