2007年06月07日
(飛行船:349) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(5)
(1980年に建造された「LZ-4」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)
(エヒターディンゲンで残骸となった「LZ-4」:同上)
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(続き)
とても刺激的で驚異的で、誇張なしにドイツ人の偉大な歴史の一部を記したと言えよう。
老伯爵は熱狂的に英雄視されていた。
この感情の最も顕著な例は疑いもなく、人々から寄せられた600万マルク(150万ドル、現在の2億円)を越える醵金であり、エヒターディンゲンで暴風のために彼の飛行船が失われた僅か2〜3日のうちに全国から寄せられたのである。
それは驚嘆すべきことであった。
伯爵が、意気消沈して翌日フリードリッヒスハーフェンに戻ったとき、駅に集まった沈黙し脱帽した群衆の傍で、私は「閣下、おめでとうございます。」と挨拶した。
そう言ったとき彼は驚いて私を見たがそのとき既に、夜を徹して数千万円が、新しい飛行船の建造資金として集まっていたのである。
それは奇跡であった。
人々の期待を担って行われた壮挙が大惨事により潰えたが、ツェッペリンの夢を消してはいけないと、ツェッペリンの作業場に、かつてない確固たる資金が確立したのである。
如何なる事情にせよ、人々がツェッペリン伯爵に600万マルクの寄付を申し出たという非常に重要な事実がそこにあった。
この資金で、彼は直ちに新しい格納庫と新しい飛行船を建造した。
しかし、次に何をすれば良いのだろう?
軍の飛行船部隊は、いまだにそれほどの関心を抱いてなかったので、多くの受注を期待出来なかった。
エヒターディンゲンの惨事は、実際には単に正当性を立証し、政財界の懐疑論を強化しただけであった。
このような状況で、伯爵が見出した輝かしい開発のアイデアを持つツェッペリン社の精力的ビジネス経営者、コルスマン氏がドイツ飛行船運輸会社 (die Deutsche Luftschiffahrt-Aktien-Gesellschaft) 、略称DELAGの設立に尽力した。
この会社は、飛行船を発注し、それを運用し、飛行船に降りかかる諸問題を解決するために設立されたのである。
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[註1]
「LZ-4」を建造するとき、伯爵の資金は底をついていた。
夫人の土地も借金の抵当に入っていた。
この時代に寄せられた寄付金の600万マルクの価値は想像しがたい。
10万マルクという大口の寄付もあったが、幼い少女の7プェニッヒという小口もあった。
彼女の小遣い全額であった。
[註2]
アルフレート・コルスマンはツェッペリンにアルミニュームを納入していたカール・ベルクの娘婿である。
ツェッペリン飛行船製造会社 (der Luftschiffbau Zeppelin GmbH) の社長とDELAGの社長を兼務していた。
後にエッケナー博士が両社を引き継ぐことになる。
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