2007年06月30日
(飛行船:372) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(28)
(嵐の北大西洋を往くLZ-127: Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )
(レディ・ヘイ: Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )
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グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(8)
グラーフ・ツェッペリンが船尾を持ち上げたあと1時間近く、吹き続ける暴風雨の中を進んだ。
飛行船はずぶ濡れとなり、終いには天井からキャビンに漏水し、操縦室では水の中に立っていたので、靴も靴下も脱いでいた。
しかしこれは、単にささやかな一時的なトラブルであった。
たとえ減速してもグラーフ・ツェッペリンは6.5〜9トンの雨水を載せて飛べるのである。
全速では13トンの過負荷でも飛び続けることが出来た。
最悪の場合でも生き延びられると思った。
常に状況を監視している飛行主任のグレッチンガーが操縦室にいる私に報告に来た。
左の尾翼の底面を覆う帆布が裂け、残ったその端布が昇降舵と尾翼の間に絡まりそうであると言う。
これは非常に深刻な事態であった。
しっかり取り付けられた水平尾翼の上面を危険にさらしても飛行船は操縦が続けられるであろうか?
この状況での危険性を考慮して、非常に難しい決断をして 無線でアメリカ海軍省に駆逐艦のような高速艦を、我々のいる位置まで派遣して欲しいと依頼する電報を発信した。
意地や誇りにこだわらず、乗客のために敢えて依頼したのである。
その艦が到着するまで、少なくとも3日は掛かると思われた。
ちょうどスペインと北米沿岸のほぼ中間点におり、どちらからも3400km程度の距離であったが、差し迫った危険はなかった。
必要ならば操縦不能ながら空中で定点に浮遊していることが出来た。
次の段階は、乗客・乗員をめまいを起こさないようにして安定した水面に降ろすことであり、損傷を精査し、補修を試み、最低限でも被害の拡大を防ぐことであった。
その間、損傷した尾翼を傷めないように低速で目的地に向かっていた。
次に乗客を訪ねた。
どのように、この厳しい経験から立ち上がったかを知り、状況を説明するためである。
彼らのうち、幾人かはすっかり落胆して怯えていたが、確信に満ちて見える人もいた。
後者のなかでも、特に小柄なハースト新聞の記者、ヘイ女史は際だっていた。
彼女は、にこやかに挨拶し、床に落ちた陶器の欠片を見ながら「伯爵さまには驚きましたわ。とても気難しくて機嫌を取るのにお金がかかるのですね。でもこの際、カップやお皿を気にしてはいられませんわね。」とつけ加えた。
あとで聞けば、陶器がテーブルから落ちたとき、感情を抑えて、友人であり同僚のフォン・ヴィーガント氏に「カール、早く来て。タイプライターが机から落ちるわ!」と呼んでいたという。
そんな冷静さが、特に女性の場合、パニックの広がりを抑えてくれるものである。
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[註]グレース・ドラモンド・ヘイ女史
グラーフ・ツェッペリンでは初めての渡洋飛行から、主要な飛行では船上に必ず彼女の姿があったという。
ツェッペリンの世界で「レディ」と言えば女史のことであった。
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