2007年04月23日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(飛行船:313) 「グラーフ・ツェッペリン」メモ(4:資料調査の醍醐味)

LZ127_Postcard.jpg

資料調査の醍醐味

このシリーズに関して、独文・英文・和文の多数の書籍や資料を参照している。

一般に専門家や文筆家と言われる人の場合でも、書籍や資料に掲載されている内容を鵜呑みにすることは非常に危険である。

人名や船名、それに地名や日時を取り違えているものは珍しくない。

中には同じ書籍の中で同じ人物や飛行船を違う名前で出現させていたり、そこに居る筈のない人物を登場させていたり、言ってもいないことを喋らせてみたりするので注意を要する。

明治37年に生まれ、昭和61年に亡くなった木村秀政という人がいた。
戦前は東京帝大航空研究所に籍を置き、昭和8年に設計をはじめた、長距離飛行記録を目指したいわゆる「航研機」の胴体・尾翼などの設計に従事、昭和15年(皇紀紀元2600年)に朝日新聞の計画した長距離機「A26」の機体設計を担当した。
戦後、航空研究所が廃止され東大を自然退官し、日本大学の教授を務めた。
昭和32年に、後にYS11と呼ばれる国産中型輸送機の設計研究委員長を務めた航空技術畑の人である。

その木村秀政氏が、酣燈社発行の月刊雑誌「航空情報」昭和51年5月臨時増刊「ヒコーキ映画大全集」に、「飛行船ものがたり−硬式飛行船の華麗で短い生涯−」という記事を書いている。

内容はLZ-120(ボーデンゼー)、R100/R101、ZR4(アクロン)、LZ-127(グラーフ・ツェッペリン)など両大戦間に運航された17隻の概要と顛末を紹介したものである。
この中で「グラーフ・ツェッペリン」に関する記述が約700字で紹介されていた。
ちょっと長くなるが引用してみる。

『(前略)1928年7月8日、飛行船の父ツェッペリン伯爵の90回目の誕生日に、”ツェッペリン伯”号と命名され、同9月18日初飛行を行った。(中略)1929年10月12〜16日、乗客20名と、手紙62,000通をのせ、フリードリッヒスハーフェン〜レークハースト間9,926kmを111時間44分で飛んで初めての大西洋横断に成功した後、世界各地を飛びまわり、1937年5月8日に最後の飛行を終わって引退するまでの9年間に、590回の飛行を無事故でなし遂げ、17,177時間、距離170万km、運んだ乗員・乗客34,000名(このうち乗客13,110名)、郵便物39,219kg、貨物30,442kgという不滅の大記録を残した。
 特に1929年8月1日から9月1日までの間に、ドイツのフリードリッヒスハーフェンから、いったんアメリカのレークハーストに飛び、そこから途中フリードリッヒスハーフェン、東京、ロサンゼルスの3地点に着陸しただけで飛行船としてはじめての世界一周に成功した。
 さらにレークハーストからフリードリッヒスハーフェンに帰着したこと、また1932年からフリードリッヒスハーフェンあるいはフランクフルトからリオデジャネイロに至る旅客・郵便物の定期運送を開始し、32年と33年に9回、34年に12回、35年に16回、36年に12回の往復飛行を無事故でなし遂げたことは、4月から10月に至る風の弱い季節に限られたにせよ、驚異的な技術水準を示したものといえるだろう。(この項おわり)』

限られた字数の中にその成果をまとめたことは流石であるが、日時や数字を間違えては画龍点睛を欠くことになる。

特に飛行機マニアの中で「航空界の重鎮」などと言われることもある立場では慎重な上にも慎重に見直す姿勢が望まれる。

「グラーフ・ツェッペリン」が初めて大西洋横断飛行を実施したのはドイツ時間で1928年10月11日から15日、復航は10月29日から11月1日である。

見出しの絵葉書は私のコレクションの一つであるが、復航すなわち最初の大西洋東航でアメリカから送られた絵葉書である。
裏面にはフリードリッヒスハーフェンで押された消印(1928年11月1日)もある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ついでながら、「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航の前に世界一周した飛行機はあったが、命知らずの冒険家の飛行であり、世界一周に176日を要しており、しかも4機で出発して途中で2機を失い帰着したのは2機であった。
「グラーフ・ツェッペリン」は女史を含む20人の乗客を載せ、船上では船長が陪席してサロンでディナーを楽しんだあとはメニューにサインを寄せ書きし、シベリア上空でオーロラを見て、蓄音機のジャズを流してダンスパーティまで実施しているのである。
旅客を乗せて初めての世界一周飛行を実現した航空機は「グラーフ・ツェッペリン」である。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

上述の記事に出てくる多くの数字も、一つ一つ出典を辿らねば安易に引用出来ない。

調査は安直には進められないが、それが調査研究の醍醐味でもある。


Comment on "(飛行船:313) 「グラーフ・ツェッペリン」メモ(4:資料調査の醍醐味)"

"(飛行船:313) 「グラーフ・ツェッペリン」メモ(4:資料調査の醍醐味)"へのコメントはまだありません。