2007年04月22日

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(飛行船:312) 「グラーフ・ツェッペリン」メモ(3:世界周航時の乗組員)

LZ127_crew.jpg

世界周航時の乗組員

「グラーフ・ツェッペリン」では長距離飛行の乗組員数は40〜43名程度であった。

世界周航時に、フリードリッヒスハーフェンから東京を目指して飛び立ったときの乗組員は41名であった(乗客は20名。このほかにまぎれこんだ猫1匹がいた)。

航行中のブリッジには船長資格を持った士官が数名おり、それぞれレーマン船長とかフォン・シラー船長と呼ばれているので非常に紛らわしい。
ここで言う船長というのは船長資格を持つ士官のことで、洋上の船舶でも船長資格をもった人が一等航海士の配置で乗船することは通常行われている。

洋上船舶では、職務上の配置としての船長は全ての責任と権限(警察権も司法権も含む)をもっているが当直はない。
大型船の場合、英語で船長を意味する Captain のほかに Commodore を置くことがある(日本語では先任船長と訳される)。
「グラーフ・ツェッペリン」の場合、配置上の最高責任者は指令(司令という文字は海軍とか消防の指揮官を指す)であり、このほかに当直船長とも呼ぶべき当直士官が航海士と別に3直で配乗していた。
飛行船は船舶と異なり3次元空間で運航されるので、風や気圧配置を読み違えたり、僅かな傾斜を見過ごしていると大傾斜(「グラーフ・ツェッペリン」でも40度を超える傾斜を何度か経験している)を生じたりするので当直航海士のほかに常時船長格がワッチにつく必要があった。

これまでも当直士官とか監視士官とか書いてきたが、今後はこの船長資格の配置を当直士官と呼ぶことにする。

従って、船長という表現は個人の資格称号として用いる。

前置きが長くなったが、世界周航の指令は8月29日にレークハーストに到着するまではエッケナー博士が務め、博士が下船したあとフリードリッヒスハーフェンまでの最終行程はレーマン船長が指令となって飛行している。

世界周航の際、乗務していた乗組員の中には、第一次世界大戦中5隻の飛行船に乗務していたハンス・フォン・シラー船長、後にエッケナー博士の後任として社長を務めることになるエルンスト・レーマン船長、彼らと同じく第一次大戦で飛行船の指揮官であったハンス・フレミング船長、後に「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令となるアルベルト・ザムト船長などが居り、エッケナー博士の子息、26歳か27歳であったクヌート・エッケナーが昇降舵手として乗務していた。

当直配置乗務員の当直体制などについては「飛行船:302」などを参照されたい。

サロンにはチーフスチュワードのハインリヒ・クービスと14歳のキャビンボーイ、エルンスト・フィッシュバッハがいた。
ギャレーではおそらく愛嬌があり体格の良いオットー・マンツがシェフの腕をふるっていたのであろう。

フリードリッヒスハーフェンでワイン80本、リキュール10本、ソーダ150キロリットル、氷600kgが積み込まれたという。


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