2007年04月15日
(飛行船:305) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(6)
「グラーフ・ツェッペリン」は1934年6月18日、ペルナンブコからフリードリッヒスハーフェンに向かう途中、赤道無風帯から抜けるときに、このような向かい風に遭遇した。
私がはじめて乗船した南米飛行のときである。
全く雲のない状態だったので、大気不安定の兆候はなかったが、飛行船が向かい風になり始めると突風の増加が感じられた。
すでに操船可能の段階を越えていた。
おそらく飛行船はあのとき1トンは軽くなったに違いない。
向かい風に突入すると、飛行船は最初船首を持ち上げ、1分間に400フィートで上昇しはじめた。
約10秒ほどでそれが終わると、下向きになり1分400フィートの割合で降下し始めた。
このときの高度は650フィートであった。
この短い時間に気温は華氏70度から84度に、湿度は70%から50%に、風力は北北東2〜4MPHから北東29MPH(57度相当)に変動している([註1])。
飛行船が8度から10度にピッチングしている間、上昇舵角は10度にとられた。
飛行船は、その間も風の中で揺られていた。
風速、風向の緊急チェックが行われたあと、より良い条件を探すために高度が上げられた。
そのときの観測結果は次の通りである。
高度(ft) 気温(F) ガス温(F) 相対湿度 風向 風力
650 84 77 50% ENE 29MPH
985 84 76 47%
1310 82 75 44%
1640 84 75 42% EbyS 24.5MPH
1970 83 74 40%
2300 84 74 38%
2625 80 72 38%
2950 79 69 38% SE 17.9MPH
3280 79 69 38%
3609 78 68 38%
3937 77 68 36%
4265 75 68 35%
4593 74 67 35%
4922 72 66 35% SEbyS 17.9MPH
5250 71 66 34.5%
上昇率は1分間あたり圧力高度220フィートである。
ガス嚢は4593フィートで、12番・13番・14番・15番・16番が100%になり、4790フィートで、1番・2番・3番が100%となった。
南南東の風が比較的マシであったので、飛行船は4922フィートまで降りて針路に沿って飛び続けた。
暴風は南米沿岸では稀であり、通常ペルナンブコとバイアの間で遭遇した。
南からの冷たい風が吹き、それに伴う気温変化が乱流を引き起こすために生じた。
これらの暴風は危険と分類されるほどではなかったが、海から50マイルまでは広がらず、飛行船の航路は容易に変更された。
航路を変えるときは常に海に向けられた。
常套航法は暴風のまわりを通り、その特性を調べて、開口部があればそこから外に出ることであった。
可能な限りの天気図が作成された。
「グラーフ・ツェッペリン」は天気図に頼って飛んでいたと言える。
もし、ローヌ渓谷の状態が非常に悪ければ出発が遅らされたが、これは基本的にフランスから押しつけられた制約であった。
ローヌ渓谷が完全に霧で覆われるか、強い向かい風か、渓谷一帯が暴風のとき、出発は延期された。
12マイルの通航幅は過酷な気象条件での操船には不十分であった。
「グラーフ・ツェッペリン」の船上で得られた気象報告は、特別な気象環境の場合、当直士官に予め警戒指示が出されていた。
通常ここでの概略の気象条件に基づいて、そのときの天候を判断して針路はしかるべく変更された。
(第7章:おわり)
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[註1]:57度とはおそらく一周を360度とする方位角の変動であろう。
[註2]:原著には手書きの当時の雷雲の分布を示すメモが載っているが転載は省略した。
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