2007年04月10日
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(飛行船:300) ツェッペリンNT災害復旧協力
昨日、九州から呉経由来広し、15時過ぎに出島に着陸したとの情報により通勤ラッシュの中を出島に向かった。
化粧直しをしてきたかと思ったが前回同様白無垢であった。
春霞で殆ど風もないのに右に左にふれ回っていた。
ゴンドラ側面には小さな丸に二引きのマークが描かれ、赤文字で「災害復旧協力中」と小さく書かれていた。
そう言えば県警のパトカーも1台来ていた。
朝8時頃、エンジンを掛け両側と船尾のプロペラをまわしていたが、その後左舷側チルトプロペラの傍に整備員が上がって長時間整備していた。
雲雀を聴きながら文庫本で司馬遼太郎を読んでいたが、飛ぶ気配もないので昼前に宇品港の新旅客ターミナル2階の「ガネーシュ」に行ってナンとカレーでランチを済ませてきた。
13時過ぎになって土建現業服を着た人達を乗せて離陸準備に掛かった。
最後の1人が鉄棒の懸垂の要領でステップの収納されたドアから乗り込み、プロペラを「オスプレイ」のようにチルトさせマストカーから離脱した。
あっけないくらい簡単であった。
「グラーフ・ツェッペリン」や「ヒンデンブルク」では200人を越える地上員の支援なしに離陸は考えられなかった。
すぐにマストカーを飛び越えて行った。
離陸直後のツェッペリンNTを後側方から見たところである。
まだプロペラは上前方にチルトしている。
上空で旋回して側面を見せた。
この時点でプロペラが前方に向けられていたのが視認出来る。
そのまま一度広島市南区の上空を大きく旋回し、東から南へ針路を向けた。
南区の桜の名所、黄金山のTV塔をかすめて呉線沿線をたどるように南下する。
海田・坂・小屋浦上空を呉方面に向かった。
今日の予定では、竹原・尾道・福山・倉敷・岡山・赤穂・姫路・神戸・芦屋・USJを経て1820に岸和田に到着することになっている。
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