2007年04月10日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(飛行船:299) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(1)

LZ127SuedamerikaPoster.jpg

第7章:渡洋飛行の船上業務

リオデジャネイロで「グラーフ・ツェッペリン」が離着陸場に使っていたカンポ・アフォンゾはリオの街に近く、山が迫っていたので霧がかかることがあった。

繋留マストは使わず、乗客が下船し帰りの乗客が乗船する間、地上支援員が地上に引きつけていた。

Bild070409.jpg

[この写真はレークハーストで「LZ-129:ヒンデンブルク」を繋留中のスナップである(R.アーチボルト、K.マーシャル共著「HINDENBURG:an illustrated history」挿絵から部分)。]

これは理想的な着陸場とはほど遠く、後に「ヒンデンブルク」のため、リオデジャネイロの南約25マイルのサンタ・クルズに格納庫を備えた広くて改善された発着場が開発された。

地上支援員はブラジル軍の兵隊であったが、彼らは常に仕事のことばかり考えているわけではなかった。

ある着陸のとき、後部エンジンゴンドラについていた1人が、そこでグループの写真を撮ろうとしたので皆がエンジンゴンドラから手を放してカメラの方を向いた。
飛行船は後部が軽かったので船尾が持ち上がった。

その結果、指令ゴンドラはまだ地上にあるというのに後部エンジンゴンドラは約100フィート地表から持ち上がった。

我々、指令ゴンドラに居た手空き総員は全力で後方に走った。

10人がキールに沿って後方に走ると、およそ10トンのバラスト水を後部に移送するのとほぼ等しい重心移動となり、何とか後部エンジンゴンドラを地表に戻すことが出来た。
このようなバラスト代わりに走らされる乗組員は「走る重り」と呼ばれていた。

(続く)

verticalZR3.jpg
[この写真はレークハーストのハイマストに繋留されていた「ZR3(LZ-126):ロサンゼルス」が突風で85度まで船尾を持ち上げられた写真である(出典は上記に同じ)。ちなみに「グラーフ・ツェッペリン」の経験した最大傾斜は49度である。]


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[註]
イラストはアントンの描く南米定期便の「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」のポスターである。

大手海運会社ハンブルク・アメリカ・ライン(HAPAG)が扱っていた。
フリードリッヒスハーフェンから欧州路線はルフトハンザと提携していたらしいことも、同社のシンボルである鶴のマークで判る。
このポスターにはフリードリッヒスハーフェンから、バルセロナ・セヴィリア・ペルナンブコを経由してリオデジャネイロを結ぶルートが示され「南アメリカまで3日で!」とコピーが記されている。
リオデジャネイロからブエノスアイレスまでは破線で結ばれているが、この区間はルフトハンザと縁の深いブラジルのコンドル航空が接続していた。

1933年から37年まで「グラーフ・ツェッペリン」は主として南米航路で定期運航され、590回の飛行を無事故で達成し、輸送した乗客13110名、郵便物39219kg、貨物30442kgという記録を残した。

貨物の中には生きた動物も含まれ、船内でペットの犬も飼われていた。


Comment on "(飛行船:299) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(1)"

"(飛行船:299) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(1)"へのコメントはまだありません。