2007年04月09日
(飛行船:298) ツェッペリンアルバム(写真:第176回) 写真265 −タンネンベルク記念碑−
[265枚目:タンネンベルク記念碑]
いよいよ最後の写真となった。
タンネンベルクの戦争記念碑である。
世界史を見るとタンネンベルクの戦いと言うのは、1410年と1914年に行われており紛らわしい。
これは第一次大戦の初期にヒンデンブルクを司令官に復帰させてドイツが、圧勝した戦いに500年前敗れた近くの戦場の名を付けたからである。
タンネンベルクと言うのはポーランドのグダンスク(ダンチヒ)の東にあたる東プロイセンの小さな村である。
1410年のタンネンベルクの戦い(グルンヴァルトの戦い、ジャルギリスの戦いなどとも呼ばれる)は1410年7月15日に、ポーランド・リトアニア連合軍とチュートン騎士団の間で戦われた。
この戦いではポーランド・リトアニア軍が勝利したが、チュートン騎士団の不敗神話が崩れたことなどによりプロイセン連合成立の契機になった。
いまでも7月になるとヨーロッパ各地から来た何千人もの騎士たちがグルンヴァルトの戦いを再現しているという。
1914年の8月17日から9月2日にかけて、ロシアの第1軍・第2軍とドイツの第8軍によって戦われた。
ドイツ軍兵力21万、ロシア軍15万が激突し、両軍の死傷者5万人、捕虜になったロシア兵9万5千と言われている。
このドイツ側圧勝のきっかけとなったのはドイツ軍のエトリッヒ・タウベ単葉偵察機がロシア大軍の移動を発見したからであると言われている。
(アメリカではこの年、最初の定期旅客航空路が開設された。フロリダのセントピータースバーグ・タンパ間30kmで乗客定員は1名であった)
ヒンデンブルクは一躍救国の英雄となり、1925年にヴァイマール共和国第2代大統領に選出される。
(ツェッペリンアルバム写真:完)
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昨年10月に始めたタバコカードアルバムの「ツェッペリン飛行船」も何とか欠番なしに終えることが出来た。
このアルバムの発行されたのは1933年であり最初の本格的旅客用硬式飛行船「LZ-129:ヒンデンブルク」はフリードリッヒスハーフェンに新たに建設された格納庫で建造に着手された段階であった。
エッケナーは「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」は旅客用硬式飛行船の試作船であると考えていたのである。
アメリカにグッドイヤー・ツェッペリン飛行船社を作り、アメリカとドイツで大型飛行船を各2隻運用して、フランクフルトに新設された空港とニューヨーク郊外のレークハーストとの間に定期運航する話が具体化するのもその後のことである。
この後は、エッケナー博士など飛行船の開発・運航に関わった人達の逸話を順不同に取りあげてゆくつもりである。
かなりの量でしたね、半年間、楽しく読ませていただきました。
実は、公には出版されることは難しいだろうと思い、豊富な情報がもったいないので、全部カット&ペーストでファイルにして取ってあります。
またドイツで色々仕込んで来て、ここで紹介して下さることを楽しみにしています。
このアルバムを見ていくうちにいままで気付かなかったことが判ったり、疑問の解消されることもありましたので私自身参考になりました。
つまらないブログにつきあって戴いて有り難うございました。
これから資料を整理をしてエッケナー博士を中心にツェッペリンの飛行船開発に携わった人達のことを少し掘り下げてみたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。