2007年03月26日
(飛行船:284) ツェッペリンアルバム(写真:第162回) 写真251 −ブレーマー・フルカン造船所−
[251枚目:ブレーマー・フルカン造船所の船台群]
ブレーメンの街はハンブルクと同様、海から随分遡ったところにあるがハンブルクと同じように大きな造船所がある。
ブレーマー・フルカン造船所も、「ブレーメン」を建造したデシマーク社のA/Gヴェザー造船所と共にヴェザー川に斜めに進水させる大型船台を幾つか持っていた。
ここでも船舶史上に名を残す名船が多数建造されている。
大型客船のみ取りあげても、1913年建造のハンブルク・アメリカ・ライン(HAPAG)「インペラトール(52117総トン)」、1914年建造のハンブルグ・サウスアメリカ・ライン「カップ・トラファルガー(18805総トン)」、1925年に建造の北ドイツロイド「ベルリン(15286総トン)、1929年建造のハンブルク・アメリカ・ライン「セント・ルイス(16732総トン)」、1981年建造のハパグ・ロイド「オイローパ(33819総トン)」、1996年建造のコスタ・クルーズ「コスタ・ビクトリア(7万総トン)」と、枚挙に暇がない。
正面やや右のガントリークレーンを装備した一番大きい船台の右、川面に二つ並んでいるのは修繕や艤装に用いる浮きドックである。
この写真では船台もドック(船渠)も空で暇そうであるが、数十年前には造船業は山谷の激しい業界で、10年に一度の造船ブームで売り上げも利益も一挙に解消するような荒っぽい事業であった。
一番右の船台にはガントリークレーンを設けているが、それ以外の船台には固定されたジブクルーンが並んでいる。
このような固定式ジブクレーンでは長大な船舶を建造するために、必要な鋼板やフレームを任意の場所に吊り降ろすことに制約が多く、作業効率を上げるために大手造船所の主要船台にはガーダーを前後に走行できるガントリークレーンを設けることが多かった。
世界最大の戦艦「大和」「武蔵」の1番艦「大和」は呉工廠の建造用ドックで建造されたが、2番艦「武蔵」は三菱造船・長崎造船所のガントリークレーン付き船台で建造され、狭い長崎港にヘットとラードで進水したのである。
同艦の建造中、秘匿のためガントリークレーンには膨大な量の棕櫚縄がさげられていた。
神戸の川崎造船所にもガントリークレンは設置されていた。
しかし、当然のことながらガントリークレーンで建造可能な艦船の寸法が規制されてしまう。
従って、現在では三菱・長崎も川崎・神戸もガントリークレーンを撤去して走行式ジブクレーンや、門型のゴライアスクレーンが用いられている。
それにしても、当時世界最大と騒がれた8万トンの「クィーン・メリー」がスコットランドのグラスゴウで建造されるなど、有名な巨船が信じられないほど狭いところで建造されており、北海から56浬、5時間も近くエルベ川を遡ったハンブルクが固定クレーン900基を備えた大貿易港であるなど、港湾や造船所の所在地も知れば知るほど面白い。
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