2007年03月25日
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(飛行船:283) ツェッペリンアルバム(写真:第161回) 写真250 −ライプツィヒの諸国民戦争記念碑−
[250枚目:ライプツィヒの諸国民戦争記念碑]
諸国民戦争とは、ナポレオンのモスクワ敗退のあと、その支配に諸国が抵抗した解放戦争のことである。
1813年10月16〜18日、ロシア・プロイセン・オーストリア同盟軍33万と、フランス軍15万がライプツィヒで激突し、ナポレオン軍はパリに敗走した。
翌年4月にナポレオンは退位し、5月にエルバ島に流刑となったことはよく知られている。
グーグル・アースで見ると、広い前庭を伴ったこの諸国民戦争記念碑はライプツィヒの南東にはっきりと視認することが出来る。
ちなみにライプツィヒという地名は、7世紀にここに村を造ったゾルブ人の言葉で「リプツィ(菩提樹)」によるものだと言われている。
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