2007年01月31日
(飛行船:229) ツェッペリンアルバム(写真:第108回) 写真171〜173 −日本滞在−
[171枚目:格納庫をのぞき込む日本人]
「グラーフ・ツェッペリン」は19日の午後4時過ぎに霞ヶ浦上空に飛来したが、そのまま東京上空に向かい、午後6時過ぎに着陸している。
フリードリッヒスハーフェンを起点と考えれば、最も長い第一区間11247kmを101時間49分で飛行したことになる。
平均時速は111.4km/時である。
101時間の飛行中、5基のエンジンを全て運転していたのは26時間で、それ以外は燃料節約のため4基で運転している。
この間の燃料消費はブラウガス17500立方m、ガソリン3750kg、オイル1050kgで、上昇・下降の際放出した水素ガスが8400立方mである。
この区間の乗客は20名、郵便物その他の積荷が400kgである。
郵便物はベルリンでも、ヤクーツクでも投下されたが、ヤクーツクではシベリアで病没したドイツ兵捕虜を慰霊するために大きな花束もパラシュートで投下された。
エッケナー博士をはじめとする乗組員は土浦の料亭「霞月」に案内され、日本式の風呂に入り、9時から霞ヶ浦航空隊司令主催の晩餐会が行われた。
エッケナー博士はこのとき、靴のまま畳の座敷に入ったという逸話がある。
翌20日は9時15分に列車で上野駅に着き、帝国ホテルに向かった。
ここで帝国飛行協会の午餐会が開催されている。
この日は首相官邸に浜口首相を訪ねたり、逓信大臣・東京市長に挨拶など忙しい日であったようだ。
次の寄港地ロサンゼルスに出発する予定の8月22日午前4時、格納庫から引き出すときに後部エンジンゴンドラを載せたトロッコがが脱輪し、ゴンドラが破損したため出発は翌日まで延期された。
23日午後2時30分に乗客が乗船し2時58分に格納庫から引き出された。
3時13分、離陸。
「グラーフ・ツェッペリン」は東北に向かって飛び立って行った。
[172枚目:霞ヶ浦の見物人]
この写真は飛行船の収容されている格納庫を覗く見物人達である。
この頃、男は必ず帽子を被っていた。
夏のことでパナマ帽も見える。
171枚目(上)の写真では右端の中学生が和服に学生帽を被っている。
婦人のさす日傘も洋傘・和傘が混在している。
8月20日か21日の撮影であろうと思われる。
このとき、エッケナー博士はライカを携えて来ていたらしい。
ライツ社がきりの良い製造番号のライカを著名人に寄贈していた、寄贈ライカと呼ばれるものでエッケナー博士のカメラは10000番であった。
[173枚目:上空から見た横浜]
23日の出発は霞ヶ浦から東北に針路をとったと言われているので、この写真も19日の夕刻に撮られたものであろう。
沖で荷捌きを待っている貨物船が停泊している辺りは埋め立てられて地形が変わっている。
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