2007年01月28日
(ブレーメンとオイローパ:28) パナマ運河通過
- bremen
- 00:15
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[出典:Arnold Kludas著「RECORDBREAKERS of the North Atlantic」P113]
船尾の振動を抑えるために1933年6月にヴェザー造船所で推進機関を変更した。
その結果速力は28.14ノットになったが、この年に僅かの差でイタリアの客船「レックス」に西航の「ブルーリボン」を譲り渡した。
[出典:Axel Bober著「Schnelldanpfer BREMEN」P7]
翌年「ブレーメン」は繋船されたが、1936年にアーレンス船長が赴任した。
1938年には「ブレーメン」に晴れ舞台が用意された。
アメリカ人乗客を乗せてニューヨークからパナマ運河を通過して南米を巡るクルーズに出たのである。
[出典:雑誌「世界の艦船」1970年7月写真特集号(通巻155集)表紙]
巨船「ブレーメン」がパナマ運河の閘門を通過するのは素晴らしいイベントであった。
この写真は1939年2月15日の撮影で、ペドロミグエル閘門を通過中に撮影されたものである。
上部構造の曲面が美しい。
アッパープロムナードデッキの舷側手摺りの外に甲板員が出て舷側を注視しており、ブリッジの張り出し部にも航海士がワッチしていが、乗客はのんきに見物している。
[出典:雑誌「世界の艦船」1970年8月号(通巻156集)P14]
このクレブラ・カットを航行中の写真も2月15日の撮影である。
太く低い2本煙突は「ブレーメン」「オイローパ」の外観上の特徴であったが、後甲板に煤煙が降るので15フィート高くなったあとの姿である。
見出しの新造時の写真と見較べられたい。
[出典:William H. Miller, Jr.編「Famous Ocean Liners Photo Postcards」No.9]
これもそのときの写真である。
場所はゲイラード・カットの切り通しである。
有名な写真で絵葉書になっている。
He12は使い走りみたいに使われていたようで、船と飛行機の位置関係が今と違う気がします。
あげあしばかりですみません、
プラット&ホイットニー ホーネット、もちろん水冷じゃないですね。
こんにちは
ご指摘ありがとうございます。
早速直しておきました(笑)。