2007年01月27日

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(ブレーメンとオイローパ:27) ブレーメンの郵便飛行機

D1717NewYork.jpg

1929年7月の処女航海で、ニューヨーク沖ナンタケットの燈台船に到達してから「ブレーメン」は搭載していた郵便機をカタパルトから発進させた。

当初予定していた沖合500マイルではなく、180マイルまで近付いてからの発進で、1時間の飛行の後にニューヨーク港の指定場所に着水した。

一説には、このとき発進させたのはニューヨーク沖合310マイルで、300kgの郵便物を載せて1時間半の飛行でハドソン川に着水したと言われているがブルーリボンの掛かった処女航海であり、速度記録の終点であるナンタケット燈台を通過して発進させたとする方が説得性があるように思える。
ちなみに、その記事によるとこのとき操縦したのはルフトハンザの機長ヨブスト・フォン・シュトルデニッツであった。

サンデッキ上の2本の太い煙突の間に装備された長さ約27mのカタパルトはハインケル社が開発したK2型で、その上に搭載されていた郵便機は同じくハインケル社製 He 12型、登録符字は「D-1717」である。

He 12型は低翼単葉単発、双浮舟付き水上機で、エンジンは米プラット&ホイットニー製空冷450馬力で3翅のプロペラを駆動していた。

乗組員2名の He 12型機は載荷重量は1020kg、最高速度216km/時、上昇限度は4000mであった。

特筆すべきはニューヨーク市長ジミー・ウォーカー氏が「ブレーメン」を訪ね、自らこの「D-1717」を「ニューヨーク」と命名したことである。

D1717onboard.jpg

この写真はニューヨーク市長を船上に迎え、郵便機に命名を行ったときの記念写真である。

サンデッキの1層上の1等船客用スポーツデッキで撮影されたもので、デッキ上には列席者がウォーカー市長、ツィーゲンバウム船長を囲み、機上にはシュトルデニッツ機長が乗っている。

郵便機はその後、He 58型(登録符字:D-1919「ブレーメン」)、Ju 46型(登録符字:D-2271「ブレーメン」)と変わったが、1935年の秋まで毎年20回近く郵便飛行が続けられた。

姉妹船「オイローパ」とあわせた飛行回数は198回と言われている。

Comment on "(ブレーメンとオイローパ:27) ブレーメンの郵便飛行機"

ブレーメンの処女航海で船上発進した郵便機に関する疑問点です。私西村慶明がムック「栄光のオーシャンライナー」で引用いたしました原典はアメリカのマニア雑誌「SEA CLASSICS」の「When airmail was shot from ships」によります。著者はJohn C.Cook。これによりますと、ニューヨークの310マイル沖で発進し、2時間30分飛んでニューヨーク港に着水したとあります。つまり横断記録実行中に発進を行ったことになります。カタパルトは風に向かって高速航行中に発進させますから、ニューヨーク沖で西風が吹いていたなら記録航行をさほど邪魔することなく発進は可能です。ナンタケット灯船まで来てしまいますと、ベラザノナローズまでもう17マイルしかなくて、ここで発進させますともう10分でニューヨーク港まで飛んでしまいますので、郵便機の意味はなくなると考えますが、いかがでしょう。