2007年01月25日
(ブレーメンとオイローパ:26) ブレーメン就航
- bremen
- 07:20
- カテゴリー:ブレーメンとオイローパ
北ドイツロイド社が発注した高速客船は1927年6月18日にブレーメンのデシマーク造船、ヴェザー造船所の第872番船として起工された。
主要寸法は全長286.m、垂線間長270.7m、船幅30.06m、喫水10.5mで、4基の減速ギア付きスチームタービンで駆動される4軸船で、出力12万5千馬力で27節、13万5千馬力に上げれば28.5節の速力を期待されていた。
乗客定員は2200名でその内訳は1等800名、2等500名、ツーリストクラス300名、3等600名である。
乗組員は990〜1025名が予定されていた。
主船体の外観上の特徴は太く低い2本煙突、水線下で船首を突出させたバルバスバウ、前面を大きな曲面でおおった上部構造であった。
その煙突の間の上部構造頂部には郵便機を発進させるカタパルトが装備されることになっていた。
起工の翌年、北ドイツロイド社は艤装員長にツィーゲンバウム船長を任命した。
艤装員は新造船の建造中、造船所に駐在して工事の立会や各部の検査・承認を行う船主側監督で、竣工し引き渡しを受けた時点で初代乗組員に任命される。
艤装員長は新造船の初代船長予定者である。
建造中に造船所のストライキで工期が延長されたが1928年8月16日に進水式が挙行され、ワイマール共和国第2代大統領ヒンデンブルクが「本船をブレーメンと命名する。幸多い航海を祈る。」と宣言した。
竣工は1929年6月24日であった。
「ブレーメン」はブレーメンからブレーマーハーフェンに移動した。
この曳航時に障害に遭遇した。
ブレーマーハーフェンまで下る途中、ヴェザー川がやや右に彎曲するあたりのファーゲで高圧線が張られていたのである。
「ブレーメン」の前檣トップの高さはキールから70m、後檣は72mあったが、このときは檣頂を取り外して目的地まで到達することが出来た。
北ドイツロイド社にとって1929年7月5日は記念日になっている。
「ブレーメン」がその巨大で美しい船体に船旗を掲げ商船隊に加わったからである。
「ブレーメン」の処女航海は、おびただしい見物者に見まもられて1929年7月16日に出港した。
硬式飛行船「グラーフ・ツェッペリン」が世界周航のため、フリードリッヒスハーフェンからレークハーストに出発する2週間前のことである。
処女航海の初代船長は後のコモドア、レオポルド・ツィーゲンバウムであり、そのルートはブレーマーハーフェン・サウザンプトン・シェルブール・ニューヨークであった。
この航海で「ブレーメン」はキュナードの「モレタニア」が30年保持してきたブルーリボンを奪還したのである。
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[註:今回掲載の写真は全て Axel Bober著「Schnelldampfer BREMEN:Gewinnerin des "Blauen Bandes"」からの転載である。
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