2007年01月04日

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(台湾:15) 淡水訪問(1)

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今年も新年を台湾で迎えた。

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昨年の暮れ、12月30日(土)10時に広島空港を出発する中華航空で桃園国際空港に向かった。
以前は中正空港と言っていたが蒋介石が亡くなって30年余り、この空港も所在地の地名で呼ばれることになったらしい。

河内の広島空港も平成の大合併で三原市に編入された。

中華航空機(CI-113便)はB737-800である。
窓席(20K)であったので窓を眺めていると国東半島の大分空港、久住・阿蘇の真上を飛び、宇土半島から天草5橋がよく見えた。
雲仙から長崎方面を遠望することも出来た。

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飛行時間は3時間弱であるが時差が1時間なので正午頃に桃園空港に着陸した。

30日・31日のことは別稿に委ねることにしてまず元日の淡水について報告することにする。

台北車站に近いシェラトンホテルから歩いて中山まで行き、MRTで淡水に向かった。
料金は50元(200円弱)、所要時間は約40分である。

いつもなら士林を過ぎたあたりで車内は疎らになりゆっくりのんびり車窓を楽しむところだが今年は大晦日が日曜日で連休になるせいかとても混み合っていた。

淡水車站に降りたとき、帰りのチケットを買っておいて正解であった。

いつものように車站から河岸沿いに紅毛城まで歩いたが、大人も子供も歩きながらものを食っているのが多くて串で突かれぬように衣服を汚されぬように心配しながら歩いたものである。

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振り向くとマングローブが広がっている。
MRT終点である淡水の隣にはマングローブを意味する紅樹林という名の駅もあり、散策用の木道も整備されている。

紅毛城からもう少し河口に向かって歩いてゆくと右手に忠烈祠・高爾夫倶楽部と案内が見えた。
淡水には有名な台湾高爾夫倶楽部はじめ、3つもゴルフクラブがある。

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緩やかな上り坂がゆっくりと曲がっており、如何にも往事の淡水神社の参道を偲ばせる道である。

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いまは淡水出身の戦没者を慰霊する忠烈祠になっている。

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台湾式に改められた鳥居の影で犬が2・3匹横たわっていた。

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幼い頃、淡水神社の祭礼に小さな法被を着て父に連れられて参詣した写真が何枚か残っている。

ゆっくり見学して参道に並行している道を登ってみた。

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すぐにゴルフのクラブハウスの前に出た。
ゴルフ場駐車場の背景に真理大学の建物が見える。
公会堂のあった地域である。

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その前にチケット売り場がある。
「滬尾砲台」である。

入ってみた。
1884/5年の中国とフランスとの戦争でフランス軍が基隆や淡水に来襲しこのあたりに上陸したために翌年ドイツの尉官を雇いその指導で築いた砲台であるという。

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防塁に上がってみると淡水河対岸の観音山は笠を被り、左手上流には台北が霞んでいた。

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裏にまわると5基の砲台跡が残っていた。

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一つの砲台から隧道を進み塹壕を行くと展示場があった。

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防塁の中も展示場になっており、古い淡水の写真も掲示されていた。

その中に私の生まれた淡水公会堂洋館の写真があった(上掲)。

ちなみに公会堂の住所は「台北州淡水街砲台浦38」であった。

現在、淡水の街はすっかり新しくなっているが、旧街長邸、旧台湾銀行淡水支店長宅などはいまでも当時の建屋がそのまま放置されている。

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これは旧台湾銀行淡水支店長宅の跡である。
いまも建物は旧街長宅とともにそのまま残っている。

蒋介石一派に接収されて民間の開発業者の再開発を免れてきたものであろう。
淡水公会堂は火事で焼け落ちたかどうかしていまはない。

当時のその界隈は民家やレストラン、それに学校などになっているが、坂道・階段・石垣などが残っており幼い頃の思い出が蘇ってくる。

紅毛城の一角に取り込まれた旧英国領事館の庭や植え込みは当時のままで懐かしい。

祖母が公会堂の経営を委ねられており、その一人娘が内地から単身赴任していた父と結婚したのである。

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洋館の前で撮った宮参りの写真である。

本館には内地から来台した陸海軍の高官や高名な画伯などが逗留していたようである。

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二階のベランダからは彼らを乗せてきた川西の四発飛行艇が目の下に見えた。

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正面から下るこの坂道の舗装の縁取りは不思議にもよく覚えている。
これは戦後送って貰った写真の一齣である。

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坂を右に下ったところにあったマッカイ牧師の建てた長老派のキリスト教会はいまもそのまま建っている。戦前の道路が整備され、山側を貫通していた。

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その道路の陸橋から下流側を望んだ写真である。
以前、この道はもっと狭く公会堂の前を迂回していた。

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忠烈祠・滬尾砲台から淡水の街に帰る途中、道端にクロトンを見つけた。

虎の尾(サンスベリア)や仏桑華(ハイビスカス)等とともに当地に多い植物で植え込みなどに使われるが、葉の色や形がさまざまに変わるのが特徴である。

淡水を満喫した1日であった。

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MRTで台北車站まで帰ると宿舎のホテルはすぐそこである。
見晴らしの良い部屋で総統府の塔も台北車站もよく見える。

総統府の塔屋では大晦日から電飾されていた。

良い新年であった。

Comment on "(台湾:15) 淡水訪問(1)"

"祖母が公会堂の経営を委ねられており、その一人娘が内地から単身赴任していた父と結婚したのである。"

Who are your parents? My family must know yours.

I can read Japanese, by the way.