2006年11月15日
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(飛行船:150) ツェッペリンアルバム(写真:第38回) 写真55 −ボーデンゼー船上のエッケナー博士−
[55枚目:「ボーデンゼー」の乗客室]
「LZ-120:ボーデンゼー」の乗客区画である。
「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」や「LZ-129:ヒンデンブルク」のようなキャビンはなく、内航フェリーの2等椅子席のような客室である。
正面に首から双眼鏡を掛けているのは船長のエッケナー博士である。
その手前には2本の支柱が見える。
座席の上に網棚があるのが面白い。
飛行船はトリム(縦傾斜)は大きくなることがあるがヒール(横傾斜)は殆どしない。
世界周遊と国内便を較べても意味はないと思うが「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」や「LZ-129:ヒンデンブルク」とは10年程度しか違わない時期であるが船内の様子がまるで違い、ローカル列車の客車を連想させる写真である。
この「ボーデンゼー」はサボタージュ行為で破壊された軍用飛行船に代わってイタリアに引き渡され「エスペリア」となって「グラーフ・ツェッペリン」の初飛行の直前に解体された。
この飛行船を賠償にとられたエッケナー博士は悲嘆に暮れている暇はなかった。
アメリカがドイツに対する賠償請求額300万マルクの代わりに新造飛行船を建造する提案を提起して来たのである。
「ボーデンゼー」は戦後の制約の中で旅客用飛行船の可能性を追求した小型試作船であり、その実績の上に建造したアメリカ向け「LZ-126(後のZRⅢ:ロサンゼルス)」が大西洋横断旅客飛行船の習作で、「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」が運航評価用の実用実験船であったと言えよう。
しかし「グラーフ・ツェッペリン」には乗務員の半分にも満たない20人しか乗客を乗せることが出来なかった。
本格的旅客用飛行船は「ヒンデンブルク」の完成まで待たなければならなかったのである。
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