2006年11月06日

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(飛行船:139) ツェッペリンアルバム(写真:第27回) 写真43 −シュトラッサー中佐−

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[43枚目:海軍飛行船隊指揮官、ドイツ海軍シュトラッサー中佐]

ペーター・シュトラッサーは「L-2(LZ-18)」の事故のあと2代目の飛行船建造主任(当時少佐)としてツェッペリン飛行船製造に駐在し、同社と協力して海軍飛行船の性能向上に努力した。

大戦が始まると海軍飛行船隊が急速に拡張されDELAGの経験者が訓練指導に当たったが、エッケナー博士はシュトラッサー中佐に技術・運用の両面で指導を行っている。

シュトラッサー中佐は海軍飛行船隊の司令官として、エッケナー博士の協力を得て50隻以上の海軍飛行船の指揮官を養成した。

1918年8月5日に「L-70(LZ-112)」の指揮官としてロンドン爆撃に出撃した。
ノルトホルツ・アールホルン・ヴィトムントハーフェンの各基地から飛び立った「L53」「L56」「L63」「L65」と5隻で編隊を組んで夜間爆撃に向かった。

迎撃戦闘機を回避するために高度5000m以上で侵攻したが、1917年夏から前線に配備されたソッピース・キャメルや SE 5Aなど新鋭戦闘機は高高度で迎撃可能であった。

この出撃で「L-70」は「L-53」とともに撃墜されシュトラッサー大佐は戦死した。

ツェッペリンアルバムにはエヒターディンゲンで「LZ-4」が炎上して10年後、イギリスへの最後の空襲でのことであったと記されている。

彼は出撃の前年、友人に軍用飛行船の限界を感じた手紙を出状していたという。


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