2006年11月04日

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(飛行船:137) ツェッペリンアルバム(写真:第25回) 写真41 −L53(LZ100)−

Bild41.jpg
[41枚目:100番目のツェッペリン飛行船「L 53(LZ100)」 1917年]

海軍飛行船「L-53」はツェッペリンの通し番号で「LZ-100」、すなわち100隻目のツェッペリン飛行船である。

「LZ-1」が初飛行してから17年で100隻の硬式飛行船が建造されたが、このうち「LZ-70」は着工されたものの完成に至らなかった。

終戦時建造中であった「LZ-115」〜「LZ−119」は未成のまま終わったが、その後何隻か欠番になっている。

イタリアとフランスに賠償に取られた「LZ-120」(ボーデンゼー)、「LZ-121」(ノルトシュテルン)のあと「LZ-122」〜「LZ-125」も建造されなかった。
このうち「LZ-124」は全長235m、ガス容量10万立方mの大型船であったが連合軍の中止命令で実現出来なかったものである。

「LZ-126」は賠償のため建造してアメリカに引き渡され「ZR-3」(ロサンゼルス)となったことはよく知られている。

「LZ-127」はこのアルバムの主役である「グラーフ・ツェッペリン」であり、「LZ-129」は本格的旅客飛行船「ヒンデンブルク」であるが「LZ-128」は設計のみで終わっている。
「LZ-128」は水素船として設計されていたがヘリウム飛行船として「LZ-129」が設計されたため建造されなかったものである。

「LZ-129」はアメリカがヘリウムの供給を許可しなかったために水素飛行船として完成した。
このため、その浮力の差をコンペンセートするためにサロンにピアノが積み込まれたことはよく知られている。

「LZ-129」がレークハーストで事故にあったあと、やっとヘリウムが供給されることになり「LZ-130」「グラーフ・ツェッペリン」(2代目)は初めてのヘリウム船として完成した。

「LZ-131」は建造中にナチの指令により解体されてツェッペリンの硬式飛行船の幕引きとなった。


写真の「L-53」の同型船には「L-56」〜「L-65」があり、ガス容量56000立方m、速度毎秒30.2m(時速115km)で1917/1918年に建造されている。
最高高度は約6500mに達していた。

写真は飛行のために格納庫から引き出された状況で、この写真ではよく判らないが拡大されたプリントによればヨーラインなどに百人程度の地上員が見える。


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