2006年11月07日

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(飛行艇の時代:70) ボーデン湖上のドルニエDoX

Dox&LZ127.jpg

何度か引用している Heinz J. Nowarra著「DEUTSCHE LUFTSCHIFFE:Parseval-Schuette-Lanz-Zeppelin」に良い写真が在ったので転載する。

ボーデン湖に翼を休めるドルニエDoXである。
背景には悠々と飛翔するLZ-127「グラーフ・ツェッペリン」が見える。

バイエルンで生まれたクラウデ・ドルニエはミュンヘン工科大学を卒業後、ツェッペリン飛行船製造に入社した。

航空機の将来は飛行船より飛行機にあると考えていたツェッペリン伯爵はドルニエに大型飛行艇の開発を担当させた。

1914年にリンダウにあった飛行機製造部門はツェッペリン飛行船製造から分かれてツェッペリン・ヴェルケ・リンダウ社となった。

そこでドルニエが最初に開発した飛行艇がマイバッハ240馬力を3基搭載した「RsⅠ」である。
1915年に初飛行している。

第一次大戦後の1919年7月31日に初飛行したGSⅠは艇内に客室を設け、エンジンは主翼の上中心線上にタンデムに配置し、艇体両側にはスポンソンを張り出すなどドルニエ飛行艇の特徴を既に備えていた。
しかし連合軍の命令により湖底に沈められ、続いて製作中であった9人乗りのGSⅡは解体された。

これをベースに開発され、世界中で広く使われたDoJ「Wal」がドイツで製作が禁じられていたため、1921年にイタリアでライセンス生産が始められ、1923年にスイス、1928年にスペイン、1930年にオランダで生産され、日本では川崎造船が2艇製造し、ほかにイタリア製軍用艇を旅客用に改造している。
「Wal」がフリードリッヒスハーフェンで製造されるようになったのは1933年以降である。

「Wal」の成功に自信をもったドルニエがスイスのアルテンハインの工場で建設(!)したのが「DoX」である。

初飛行は1929年7月12日(25日説あり)に初飛行に成功した後、10月21日(31日?)、169名(乗組員10名、招待客150名、密航者9名)を乗せて1時間の世界記録を樹立している。

初号艇は建造年を記念して「D-1929」の登録符字が付けられた。
この飛行艇は12基の空冷エンジンを液冷に換装しており、オリジナルを「DoX1」、換装後を「DoX1a」と区別して呼ばれることがある。

アメリカ往復の大西洋横断に10ヶ月掛かりキャプテンが途中で交代するなどエピソードには事欠かない。

このほかイタリア向けに2艇建造されている。
「I-REDI:ウンベルト・マダレーナ」、「I-ABBN:アレサンドロ・ギドニ」である。

トリエステ・ベニス・ジェノア・マルセイユ・バルセロナ・カルタヘナ・ジブラルタル・カディスを定期運航される計画であったが実現されなかった。

写真が不鮮明でよく判らないが液冷エンジンに換装後の「DoX1a」の様である。

LZ-127「グラーフ・ツェッペリン」の乗客定員が20名であったのに、DoXは優に100人以上の乗客を乗せることが出来た。

客室のほかに喫煙室、バー、ギャレーもあり、シャワー・バス付きの化粧室まであった。
デッキは3層になっており、上甲板には操縦室・艇長室・航法士室、無線室、機関士室などがあり、中甲板が乗客用のスペース、下甲板には燃料タンクが並んでいた。
通常状態で16000リッターの燃料を搭載できたが乗客を乗せないときはさらに10000リッター追加搭載可能であったという。


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