2006年10月27日

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(飛行船:129) ツェッペリンアルバム(写真:第17回) 写真32 −船上の伯爵−

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[32枚目:船上のツェッペリン伯爵]

グラーフ・フェルディナンド・アドルフ・アウグスト・フォン・ツェッペリン、ご存じツェッペリン伯爵は1838年7月8日にボーデン湖畔の街コンスタンツの小さな島に建つ館で生まれた。
13世紀に建てられたドミニカ修道院をツェッペリン伯爵家が購入したものである。

現在、この島はシュタインベルガーインゼルホテルとなっている。

フェルディナンドには兄が居たが若くして亡くなったので伯爵家を継いだのである。
彼には2人の妹もいた。

フェルディナンドは15歳で高等工業専門学校に入学した。
その後士官学校に入り1858年に歩兵少尉に任官し、チュービンゲン大学で工学の履修を始めたが墺仏戦争が勃発しプロイセンも参戦したので呼び戻された。

技術系将校としてイタリア・フランス・ベルギー・イギリス・デンマークなどを視察している。

1863年に国王に長期休暇を願い出てアメリカの南北戦争を視察しているが、このときプロイセン大使が仲介しリンカーン大統領に拝謁した。

南北戦争で北軍の係留気球に乗るという経験もしている。

1870年には普仏戦争が起き、騎兵大尉として従軍し、この頃から飛行船の構想を具体化していたと思われる。

1890年に52歳のフェルディナンドは陸軍中将で退役した。

それからのことはこのツェッペリンアルバムに詳述しているので写真の連載が終わったら紹介する予定である。

ツェッペリン飛行船の主任設計者であったルートヴィッヒ・デューア博士は次のように証言している(天沼春樹:「ツェッペリン年代記」)。
『ツェッペリンが天才であったのは、すでに初期の構想のうちに、わたしたちがのちに建造することになる飛行船の基本構造をしっかりつかんでいたことである。われわれはおよそどんな基本構造も変更しようがないほどにである。われわれは、ただ改良し、より磨き上げていっただけに過ぎない。』

1917年3月、ツェッペリン伯爵はベルリンで亡くなった。
第一次大戦中のことである。


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