2006年09月08日

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(飛行艇の時代:63) 南十字星号

Croix_sketch.jpg

第一次世界大戦によって飛行機は飛躍的に発展し、南米に多くの移民を送り出していたドイツはコロンビア、ブラジルと航空機の定期運航に乗り出した。

フランスもラテコエール航空がモロッコ・セネガル線を開設し、南米航空路の開拓に挑戦していた。

ラテコエールは航空機の運航で始まったがやがて航空機の製造を手掛けるようになる。
1928年からモロッコ・セネガル線に投入された乗客8名の単発高翼のラテコエール28は美しい外観の機体であった。
陸上機のほかに双浮舟を付けた水上機も製作されている。

この頃、ラテコエール航空にジャン・メルモーズとアントワーヌ・ド・サン・テグジュベリがいた。

サン・テグジュベリは「南方定期便」「夜間飛行」それに「星の王子様」などの執筆で良く知られている。

今回の主役はフランスの英雄、ジャン・メルモーズである。
(フランス人はメルモーズをとても誇りにしており彼の肖像は郵便切手にもなっている。また、クルーズ客船の船名にも「メルモーズ」(又は「ジャン・メルモーズ」)と命名している。)

メルモーズは南大西洋横断やアンデス越えなど新規開拓路線をクージネ70「アルカンシェール」や4発飛行艇のラテコエール300で飛んでいた。

事故死の翌年出版された著書「私の飛行」のなかでダカール・ナタール間の18時間に及ぶ大飛行の印象をメルモーズは次のように述べている。
『その時間が過ぎたとき、暗い海の前方に光りがきらめくけれども、それは現実ではないかも知れない。不運に慣れてきた私は容易に浮き立たない。しかし、もう一度、今度は不動の灯火として現れる。疑いなくナタールである。すぐシャンパンの栓がとんでグラスが乗員にまわされる。最初の一番うまい煙草の煙がながれる・・・・・・。』

「南十字星」号は美しい4発飛行艇であった。
艇体と垂直尾翼は白色塗装で、主翼と水平尾翼は青、艇体両側のスポンソンと艇体下部は黒く塗り、艇首両舷には青地に白十字が描かれていたという。

1936年12月7日、メルモーズは南大西洋上でこの「南十字星(la Croix du Sud)」から航空路に沿って配置された通報船に『後部右エンジン停止』と連絡し消息を絶ったのである。

登録符字は「F-AKGF」であった。

イラストは手持ちの資料に載っていたプロファイルや三面図、それにパリ郊外のシャレー・ムードン航空博物館所蔵の模型写真などを参考に描いてみたものである。

追って、小生のいまは殆ど休眠中のウェブページ『南十字星』は同艇にちなんでと命名したものである。

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