2006年08月20日

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(飛行船:89) 『ツェッペリンの伝説』まえがき(1)

LZ129&127.jpg

『ツェッペリンの伝説』まえがき

伝説は生きている。

今もなお、前世紀の30年代に相当数のドイツ ツェッペリン飛行船が大空を航行し、それどころか大陸間で人々の輸送の役割を果たしていたという見解が広く流布している。

どれくらいの数があったのかという質問をすれば、驚くほど多くの答が返ってくる。

「数百」という発言も少なくなく、あるいは −より用心深く− 「50くらい」という人もいたかもしれないし、疑い深い人は「1,2ダースくらい」と予測するかもしれない。

事実は、当時ただ2隻の旅客輸送用ツェッペリンがあっただけなのである。

すなわち、1928年から1937年まで稼働したLZ127「グラーフ・ツェッペリン」と1936/37年の「ヒンデンブルク」である。

そのほかの飛行船は −注目すべきことに、世界のどこでも!− 使われていない。

1931年からLZ127は、夏季には毎年雨期の前後に南米に運航スケジュールをたて、その他の期間は良好な気象状況下でドイツ国内での遊覧飛行を行っていた。

数回の南米飛行のほかLZ129は1936年に、1937年最初の飛行で合衆国で事故に遭うまでに10回北米ルートに従事していた。

この大惨事のあと、ツェッペリン型の旅客輸送用大型飛行船が空に浮かぶことはなかった。


(続く)
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写真は Hans G. Knaeusel 著 "Mythos Zeppelin"(AVIATIC VERLAG 刊)から転載したもので説明によれば
「1936年の国民投票に当たって行われた ナチ党員のためのプロパガンダ飛行に飛び立つ際損傷した船尾下部鰭を仮修繕状態で出発するLZ129。
上空にはLZ127が待機している」
と表記されている。

[訳者註]
LZ127「グラーフ・ツェッペリン」は乗客定員20名ながら9年間に世界一周を含む590回の飛行を行い、飛行時間17177時間、距離にして170万kmを飛び、13110名の乗客と39219kgの郵便物30442kgの貨物を運んでいる。
LZ129「ヒンデンブルク」は乗客定員50名で完成したが後にキャビンは増設されている。
リオデジャネイロ往復飛行7回を含む56回の飛行で2656名の乗客を載せて飛んでいる。


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