2006年08月04日
(飛行船:84) 飛行船文献
文献調査のため1日のフライトで上京し、3日のANAで戻ってきた。
飛行艇の文献も含めて非常に収穫が多かった。
なかでもツェッペリン飛行船以外のパーセバル、シュッテ・ランツなどを含めドイツで建造された全ての飛行船のリスト、要目表、図面、データなどはこれからの調査の貴重な参考になる。
今回はイギリスのオスプレイ出版の「Zeppelins:German Airships 1900-40」から一連のイラストを紹介する。
縮尺も統一されておらず、各船毎の詳細も必ずしも正確ではないが当時の飛行船を概観するには良いかも知れないと敢えて転載した。
一番上は1900年にボーデン湖で進空したツェッペリンの飛行船第一号、LZ1である。
2番目は同じくツェッペリンのLZ13「ハンザ」である。
3番目はドイツ海軍に納入されたL1(LZ14)である。
同型船が後に5隻建造されている。
4番目は同じく海軍に引き渡されたL3(LZ24)である。
同型船(L4:LZ27)と共に英本土のグレートヤーマスを爆撃したことで知られている。
5番目はドイツ陸軍に納入されたLZ47(ツェッペリン社の通番ではLZ77)である。
ドイツ海軍ではL-ナンバーで呼称されていたが、陸軍はLZ-ナンバーで呼んでいたため紛らわしい。
6番目は海軍のL30(LZ62)である。
当時スーパーツェッペリンと呼ばれた新型船の第一号で、同型船が終戦までに16隻完成している。
7番目はツェッペリンの飛行船ではない。
シュッテ教授がランツ社と組んでシュッテ・ランツ飛行船を建造していた。
流線型の船体形状・十字尾翼・大圏構造など画期的なデザインを採り入れていた。
これらは殆ど後のツェッペリンに大きな影響を与えている。
8番目は改良型高々度飛行船の第一号、L70(LZ112)である。
シュトラッサーが旗艦として使っていた。
9番目は大戦後に建造されたノルトシュテルン(LZ121)である。
LZ120ボーデンゼーがイタリアに、本船はフランスに賠償として取られてしまった。
10番目はツェッペリン飛行船製造社の存続をかけてアメリカ向けに建造したZR3(LZ126)ロスアンゼルスである。
初めて大西洋を横断してアメリカに引き渡され、レークハーストでヘリウムガスに置換された。
11番目は最も有名な飛行船「グラーフ・ツェッペリン」(LZ127)である。
世界一周飛行ではフリードリッヒスハーフェンから東京まで無着陸で飛来した。
12番目はレークハーストで大惨事を起こしたヒンデンブルクの同型船グラーフ・ツェッペリンである。ヒンデンブルクの事故の後アメリカからヘリウムを供給されたが活躍の場がなく解体された。
この絵でLZ127グラーフ・ツェッペリンに較べてずんぐりした船体形状が見て取れる。
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