2006年07月11日
(飛行船:67) 『飛行船の黄金時代』 第3章:「グラーフ・ツェッペリン」(1)
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第3章:「グラーフ・ツェッペリン」
史上最も有名な飛行船、いやおそらく最も有名な航空機は「グラーフ・ツェッペリン」であろう。
あらゆる意味で「グラーフ・ツェッペリン」はエッケナー博士の創作物である。
同船を、大西洋横断を実証する船として思い描いたのも、それを操船して大胆にもスリル満点な航路開拓飛行を敢行し、ヨーロッパとアメリカの両地域で商用飛行船に興味を抱かせたのも、その建設資金を集めるために2年以上にわたってPR行動を起こしたのも彼であり、彼の構想力と実現のための熱意と実行力と、他国の飛行船が何隻も遭難している中で「グラーフ・ツェッペリン」の安全な長距離航行を可能にした、較べもののない経験によるものである。
「グラーフ・ツェッペリン」の信用も功績もエッケナー博士が評価されたものである。
「ロスアンゼルス」が大西洋を横断してアメリカに引き渡されてから1939年に第二次世界大戦の始まるまでの15年間世界で最も有名な人物であった。
彼の生涯を通じて「グラーフ・ツェッペリン」の偉業は、資金不足という一つの問題に煩わされた。
はじめにエッケナーはワイマール共和国政府の助力を受けることが出来ないと認識した。特に航空関係の顧問団や以前の戦闘機乗り達は秘密裏に建設中の空軍に手一杯で、軍事的に役に立たない「気体袋」にかかわってる余裕はなかった。
エッケナーは1908年8月にエヒターディンゲンで起きた「LZ4」焼失のあとドイツ人が寄付でツェッペリンを再建したことを思い出して基金を設立した。
ツェッペリン・エッケナー基金を立ち上げると、博士には1924年に大西洋横断の際に懸命に職務を遂行したハンス・フレミング、アントン・ヴィッテマン、ハンス・フォン・シラー、マックス・プルスなどの忠誠な支援が寄せられた。
その後2年間にわたって大西洋を横断してアメリカまで航行するツェッペリンに関する公演、レセプションに誠心誠意努力を惜しまなかった。
そのPR活動により250万マルクの資金を集めることが出来たが、建造には400万マルク必要であった。
それでも、事実上の経営者となったエッケナーにとってフリードリッヒスハーフェンで「LZ127」を起工するには充分であった。
後にドイツ政府を説得してその工事を完遂するために100万マルクを超える予算を支出させている。
新造船の大きさの上限は、1918年の「L100」と同じく1916年夏に完成したフリードリッヒスハーフェンの大きな建造用格納庫2号の寸法で決まった。
その内部空間寸法は、長さ787フィート、直径100フィート、高さ115フィートであった。
「LZ127」の船体は長さ775フィート、直径100フィート、ゴンドラのバンパーを含めた全高は110フィートで、出入りするときの格納庫天井との空隙は2フィートであった。
長さ/幅比は 7.8 で乗客の乗るゴンドラは全高を押さえるために遙か前方に配置された。
「ロスアンゼルス」の拡張版であった「グラーフ・ツェッペリン」の外観は完全に流線型の「ロスアンゼルス」より美しい形状になった。
ガス容量は 3,707,550立法フィートで、その時までに世界中で建造された最も大きい飛行船であった。
フレームと呼ばれるリングの間隔は15mで、5mの間隔で軽量の中間フレームが2本配置された。
船体はフレームで気嚢用の17の区画に仕切られていた。
満載しても 3,707,550立法フィートの水素は入らなかったが最も大きな12区画には2つの気嚢があり、下の方は「燃料ガス嚢」と呼ばれ最大で 1,059,300立法フィートの容量であった。
実際の運航状況では、フリードリッヒスハーフェン・ペルナンブコ間の飛行では 750,000立法フィートの燃料ガスが搭載され、残りのスペースには、ほぼ100%の水素が充填されていた。
燃料ガスはほぼ空気と同じ比重でブラウガスと呼ばれていたが、これは色によるものではなく(ドイツ語で「青」はブラウという)、開発したヘルマン・ブラウ博士に因んだもので、合衆国のユニオン・カーバイド社で製造されていた。
私がフリードリッヒスハーフェンに赴任した時点では外貨不足のため、ドイツ人は水素とプロパンを混合して彼等の燃料ガスを作っていた。
不純なプロパンはキャベツを調理したときのような嫌な臭いがして衣類にしみつき、陸上の室内ミーティングではまわりの注意をひいたりしていた。
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挿し絵は「グラーフ・ツェッペリン」の側面図と中央縦断面、それに横断面である(同書:P33)。
縮尺して一齣に表示したが、必要に応じて部分拡大図を再掲する予定である。
全体のイメージを捉えて貰うには一齣で表示するのが良いと思って縮尺表示にしたものである。
[訳者註]この著者の英文は1センテンスが長い。
特に3章のはじめのエッケナー博士の貢献を語る1文は足掛け8行にわたり、80語以上400字を越える異常な長さである。
ここに限らず長い複文構造はしばしば出てくるがせめて2〜3行程度の文が続けばもう少し読みやすくなるかも知れないと思うことがある。
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