2006年07月09日

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(飛行船:65) 『飛行船の黄金時代』 第2章:大西洋横断旅客飛行船の夢(2)

BODENSEE1.jpg

(前回の続き)

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第一次大戦の休戦が調印されたあと、ツェッペリン飛行船製造は戦争中に進展した技術的進歩の全てを大洋横断用の大型飛行船に反映させようとしていた。

数種類の設計が行われ、同社は戦時中の「L100」を「LZ125」に再生させようと真剣に検討した。

長さ774フィート直径98フィート16の気嚢に 3,532,000立法フィートの水素を充填し240馬力のマイバッハ発動機を12基搭載したこの「アメリカ船」には2種類の設計が準備された。
操縦室の上のキールに2〜3の旅客用キャビンを設けた郵便兼用高速貨物船と、前部にステートルーム付きの大型キャビンを置きゴンドラの先端に操縦室を配置した旅客船である。

ツェッペリン社は世間一般に飛行船による旅行に興味を呼び起こす機運を作りたかった。自己資金で「アメリカ船」を建造していることは、政治的にも財政的にも危険極まりない賭けであった。

休戦から僅か2ヶ月半後に、フリードリッヒスハーフェンとベルリンの間を運航する小型飛行船を建造することにした。
その「ボーデンゼー」と命名された小型飛行船は体積僅かに 706,200立法フィートであったが370マイルの短距離飛行で20〜26名の乗客を乗せた。
全く新設計の「ボーデンゼー」にはツェッペリン飛行船製造技術スタッフの旅客輸送に関する設計思想の全てが織り込まれていた。
戦前のDELAGn飛行船より格段に勝っていた。
客室は船体に取り付けられた長さおよそ80フィートの流線型のゴンドラの中に配置され、操縦室はその前部にあった。
ゴンドラの中は5つの区画に仕切られ、それぞれに4人の座席が用意された。
広い窓からは下界の素晴らしい眺めを楽しむことが出来、スチュワードが軽食・高級ワイン・リキュールをサービスした。

ストレッチ型の姉妹船「ノルトシュテルン」はストックホルムへの飛行を予定して建造されたがドイツ国旗のもとで飛行することはなかった。

1919年末、両船は連合国の航空管理委員会に取りあげられ、イタリアとフランスに譲渡された。

しかし、この設計の成功はその後の大型飛行船に反映されることになった。

(続く)
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見出しの写真は 第一次大戦後、連合国がドイツに飛行船の建造を禁止する前の1919年に建造された「ボーデンゼー」である。
この船はフリードリッヒスハーフェン・ベルリン間の370マイルを20〜26人の乗客を乗せて飛行した(同書、P29)。

LZ120inside1.jpg

「ボーデンゼー」の客室である。
広い窓のある5つのコンパートメントがあった。
飛行中に軽食や飲み物が用意されていた(同書、P29)。


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