2006年06月30日
(飛行船:58) 『飛行船の黄金時代』 序:ナチとエッケナー博士(5)
(前回からの続き)
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未来の航洋旅客輸送機関としてツェッペリン飛行船の将来性を託され、ツェッペリン社の運営について伯爵から引き継いだのはエッケナーであった。
しかし、ベルサイユ条約はツェッペリン工場を破壊するように要求していたし、ロンドン議定書では大型飛行船の建造を禁じていたのでツェッペリン社は存続の危機に立っていた。
この急場を救ったのはエッケナーであった。
彼はアメリカに大型飛行船の建造契約を提案したのである。
のちに「ロスアンゼルス」と呼ばれるようになる飛行船は1924年の秋に完成した。
試験飛行はエッケナーによって故意に時間をかけて計画され、再びドイツの空に銀色の船体が誇りと実感のまなざしを集めて現れたのである。
レイクハーストまで、大西洋を横断する引渡飛行はエッケナー個人の大手柄であった。
彼の次の関心事は、20人の乗客に快適な船上生活を体感して貰いながら航行する有名な「グラーフ・ツェッペリン」の建造であった。
エッケナーの指揮するその飛行船の功績は、ドイツで実現していたと同じ感激を他の国々にももたらしたことである。
ナチのツェッペリン社の権力掌握は、ドイツ国内の他の活動と同様に敏速で1933年1月に実現した。
その一方で、エッケナー博士には彼の理想とする50人乗りの、のちに「ヒンデンブルク」と呼ばれる大西洋横断旅客用飛行船の建造を財政的に可能ならしめた。
最初に宣伝相ゲッベルス博士は新しい飛行船に2百万マルクの予算をつけた。
次にゲッベルスのライバル、航空相ヘルマン・ゲーリングは9百万マルクを申し出た。
しかしエッケナーはそれを受け取らなかった。
エッケナーは、ツェッペリンが茶色シャツ政権の付属物になりプロパガンダに使われることを承知していたのである。
ゲッベルスは飛行船の船体中央に、赤地に白の円を描きその中に黒い鉤十字を描いたナチの旗を上から下まで巨大なサイズで描くように要求した。
エッケナーの取り得た最良の妥協案は鉤十字の旗を垂直尾翼に描くことであった。
それからゲーリングはエッケナーにドイツ・ツェッペリン輸送会社の組織を通して支配を受けるよう強制した。
ドイツ・ツェッペリン輸送会社は国営定期航空会社ルフトハンザの提携会社であった。
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見出しの写真はドイツによってアメリカ海軍向けに建造された「LZ126」である。
後に「ロスアンゼルス」と呼ばれた。
これは旅客を乗せて大洋横断するために設計・建造された最初の飛行船である。
フリードリッヒスハーフェンで1924年9月に試験飛行中の写真と思われる(同書、P30)。
この写真は私(訳者)のコレクションの中の絵葉書の一葉である(日本で発行された着色写真)。
キャプションには、左から「将に着陸せんとするゼット・アール三號」、右から "ZR 3 going to land at Lakehurst " とある。
ニューヨーク近郊(ニュージャージー州)のレークハーストにはドイツから賠償で得た格納庫もあった。
後年の「ヒンデンブルク」の爆発事故もここに着陸する作業中に起きたことは良く知られている。
「ZR3」は米海軍の公式船名で、「ロスアンジェルス」は愛称である。
このカテゴリーの2回目(2005年5月16日)で米海軍就役中の写真を掲載したが、その当時は本船建造の経緯が判らなかったので推定で紹介している。
米海軍では潜水艦探索などに用いられていたが、航洋旅客飛行船として基本設計された上建造された。
エッケナーの本船建造の最大の目標は大西洋横断飛行であった。
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