2006年06月28日
(飛行船:56) 『飛行船の黄金時代』 序:ナチとエッケナー博士(3)
(続き)
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多くの人達の熱意に後押しされて、ツェッペリン伯爵はドイツ国内の全ての大都市近くの格納庫から愛国的市民に2時間の体験飛行が出来るように旅客用飛行船の運航を準備した。
世論に促されるかたちでドイツ陸軍はツェッペリンを敵の後方に対する長距離偵察に採用し、海軍は北海における英国艦隊の索敵に試用した。
その頃ドイツの狂信的愛国主義の新聞は仮想敵国が恐ろしい空襲を仕掛けてくる可能性を報じ、イギリスでは昼間に空飛ぶ円盤を見たという話より幻のツェッペリンが夜間侵攻してくるというデマの方が珍しくなくなった。
第一次世界大戦が始まるとドイツ人達はツェッペリンに最初の戦略爆撃の確信的期待を寄せた。
ドイツは特別の国であり、敵国の都市を廃棄物で埋めその住民を恐怖に陥れ、その指導者がドイツに和平を懇願すると思うようになった。
戦争の間にドイツの陸軍と海軍に88隻のツェッペリンが就役し、終戦前の夏までに敵に対して爆撃を行ったが、防空戦闘機により多くのツェッペリンが炎上し、連合軍政府を跪かせることは出来なかった。
ツェッペリン伯爵は幸運にも、彼の発明した飛行船が軍事兵器として失敗したことを生きて見ることはなかった。
彼は1917年3月8日に亡くなっている。
伯爵は将来起きる戦争に大型飛行船を、制空権を握る兵器として活躍させることを考えていた一方、その非常に大型で長大な航続距離と載荷能力が大洋横断旅客船に適していることを知っていた。
この考えは、イギリスが軍事用ツェッペリン飛行船を真似て作った「R34」が30人の乗客を乗せて大西洋を無着陸で往復した1919年の夏から直接的ではないにしても実現しつつあった。
この年、パイオニアの飛行家達は著しく過積載の飛行艇でニューヨークから、ニューファウンドランド・アゾレス・ポルトガルをたどる困難な最初の大西洋横断に苦労していた。
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見出しの写真は飛行船の先駆者フェルディナンド・ツェッペリン伯爵である(同書:P26)。
彼はツェッペリン式硬式構造飛行船に彼の名前をつけた。
しかし、硬式飛行船が全てツェッペリンではない。
シュッテ-ランツ社の飛行船は全く異なる構造である。
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