2006年06月23日
(飛行船:51) 霞ヶ浦の「グラーフツェッペリン」
印刷はあまり良くないが日本で印刷された絵葉書である。
1929年の世界周航の際、フリードリッヒスハーフェンを離陸してシベリア経由で11247kmを101時間49分かけて飛翔して最初に着陸した霞ヶ浦飛行場に着陸したLZ-127「グラーフ・ツェッペリン」である。
8月19日に東京上空に飛来し、船体の補修も行ったためサンフランシスコ上空経由ロスアンジェルスに向けて飛び立ったのは8月23日のことである。
真夏なので下士官も水兵も白の夏服である。
格納庫に収容中の写真であるが、この巨大なハンガーは第一次世界大戦の賠償としてドイツで解体し霞ヶ浦海軍航空隊に移設されていたものである。
第一次大戦終了後のベルサイユ条約でドイツは再軍備を禁止され、膨大な賠償金のほかに飛行船も潜水艦も航洋客船も全て連合国軍に接収された。
日本も大小6隻の潜水艦を分配され回航している。
商船では「カイザー・ウィルヘルムⅡ」「クロンプリンツ・ウィルヘルム」「クロンプリンツェシン・セシリー」「インペラトール」「ファーターラント」「ビスマルク」などの客船が接収され「ベレンガリア(キュナード:旧インペラトール)」「マジェスティック(ホワイトスター:旧ビスマルク)」「リバイアサン(ユナイテッドステーツ:旧ファーターラント)」など戦勝国の客船となった。
このあまりにも過酷な賠償のためドイツは第二次世界大戦を引き起こさねばならなかったとする説もあるほどである。
この写真はヴァイベル・キッセル共著「 ZU GAST IM ZEPPELIN 」に掲載されていたものであるが同書では裏焼きで印刷されている。
水兵のキャップのペナントに「霞ヶ浦海軍航空隊」の文字の一部が見える。
当時は配乗している軍艦の艦名や所属部隊が明記されていたが後年、防諜のためすべて「大日本帝国海軍」に統一された。
ここで水兵達が飛行船を支えて握っているのはサンドバラストの袋を吊り下げていたバーである。
(第46回参照)
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