2006年04月14日

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タイタニック メモリアル デー

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1912年の今日、処女航海でニューヨークに向かっていたホワイトスター社の新造大型客船「タイタニック」が沈没した。
厳密に言えば14日深夜氷山に接触・損傷し、沈没したのは日付が変わってからである。

「タイタニック」の船籍港はリバプール、総トン数は46328トンであった。

4月10日にサウザンプトンを出航した同船は、フランスのシェルブール、アイルランドのクィーンズタウン(現コーブ)に寄港した後、新大陸のニューヨークに向かっていた。

4月14日23時40分、ニューファウンドランド沖で氷山に遭遇し、回避を試みたものの避けきれず右舷を氷山に接触し停船した。

水面下の舷側外板に亀裂を生じ、連続した防水区画5区画に浸水し沈没に至った。

このとき国際緊急電信信号「SOS」は発効前であったが発信されたことは知られている(当時の緊急符号は「CQD」であった)。

この事故の犠牲者数はイギリス商務省の発表によると1513人と言われている。
死因は凍死と言われているが、低水温のための心臓麻痺という説もある。

この事故を契機に1914年の『海上における人命の安全のための国際条約』SOLAS(The International Convention for the Safety of Life at Sea, 1914)が採択された。

見出しの絵画は Stuart Williamson により1994年に描かれた1912年4月10日にサウザンプトンを出港する「タイタニック」である(出典:Leo Marriott著「TITATIC」)。

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この写真は最後の寄港地クイーンズタウン(コーブ)を出港しニューヨークに向かう「タイタニック」最後の写真と言われている(出典:E.E.O'donnell著「The Last Days of the TITANIC」)。

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「タイタニック」と運命を共にした船長 Edward John Smith の肖像をプリントした絵葉書である。
上辺には「英国人らしくあれ」という船長最後の言葉が見える。


((旧)紺碧の海にリンクしている「今日は何の日」のページでは1914年とされている。必ず他の資料で確認しておくことが必要である)

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