2006年04月04日
(台湾:7) 淡水街
淡水の町の古い写真である。
以前の鉄道駅はいまのMRT駅の位置から近かった。
淡水の町の中心よりやや台北寄りである。
この写真はその淡水駅から河口にむけて約1km下ったあたりである。
淡水街の西のはずれで、この先をさらに進むと油車口という集落を経て河口に至る。
10年か20年前くらいまで写真中央左の郵便局など目印になる建物が残っていたようであるが、淡水が観光地として脚光を浴びるようになって河岸の遊歩道や観光道路などが整備され昔の記憶と結びつくものが少なくなった。
日本家屋で当時のまま残っているのは淡水街長官舎や台湾銀行淡水支店長宅などくらいである。
しかし日本人達の買い物をしていた市場とか郡役所の建物など当時のまま残っている建物もある。
当時豆腐屋のあったところが今も豆腐を商っているのにはちょっと驚いた。
今は淡水河口に漁人碼頭など観光施設が開発されてバスや船で行く人が多いが、淡水のこのあたりは当時住宅街であった。
新しくなったMRT淡水線の終点駅から河岸が整備され観光客の遊歩道になっていて、このあたりまで続いている。
写真で河に船が見えるがすぐそばに税関があり、貨物船や飛行艇が来ることがあった。
水上機の基地のあったのはもう少し上流側であるが、飛行艇はこの前の水面に係留していた。
この当時は街の乗り物はトーシャーと呼ばれていた人力車であった。
菅笠のような台湾笠を被った車夫が駅前で客待ちしていた。
舗装道路は限られていたので、車軸と客席の間には大きな重ねバネがクッション使われていた。
この写真の書き込みも父の字である。
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いま、台湾の自動車は凄い。
日本のように車庫証明など必要なく自動車が購入出来るので街中自動車があふれている。
有料のいわゆる自動車道でも放置されているものもある。
割り込みや接触事故も多いが決してクラクションを鳴らさない。
「どうして?」と聞くと「お互い様だから」と言う。
但し、日本からの輸入は認められていない。
日本車はアメリカなどからの輸入である。
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