2006年04月03日
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(船舶の絵葉書:37) ベレンガリア
ドイツの名門ハンブルク・アメリカ・ライン(略称:HAPAG ハパグ)社長のアルベルト・バーリンは英キュナードのルシタニア級、ホワイト・スターのオリンピック級に対抗するために3隻の大型船を建造した。
その第1船は「オイローパ」と命名される予定であったが、HAPAGの支援者であるウィルヘルム2世に敬意を表して「インペラトール」と命名された。
1912年5月23日にハンブルクで進水した同船の総トン数は52117トンであった。
第2船「ファーターラント」、第3船「ビスマルク」と組んで5万トン級3隻によるウィークリーサービスを実現する壮大な計画であった。
しかし第一次大戦の結果、これらの船は連合国側に賠償として引き渡され、「インペラトール」はキュナードに移籍され「ベレンガリア」となり、「ファーターラント」はユナイテッド・ステーツ・ラインの「リバイアサン」、「ビスマルク」はホワイトスターラインの「マジェステッィク」となった。
「インペラトール」が建造されたとき、巨大な鷲の船首飾りが取り付けられたが何次目かの北大西洋横断航路で時化のため損傷し取り外された。
上の写真は前回の「モレタニア」の絵葉書と同じシリーズの160号である。
下の絵葉書は同じ MARINE ART POSTERS の絵葉書であるが別シリーズで、画面左下には ODIN ROSENVINGE とサインが入っている。
この当時、アイルランドのコーブ(クインズランド)からニューヨークまで4日半を要していた。
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