2006年04月26日

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(飛行船:41) LZ-120 ボーデンゼー

Bodensee3.jpg

39回、40回と同じシリーズ切手の3枚目である。

LZ-120「ボーデンゼー」は第一次大戦直後に建造された旅客用硬式飛行船である。

ドイツは連合国側に膨大な賠償金を科せられただけでなく、航空機などの開発・製造に制限が課せられた。

ツェッペリン伯爵は大戦中に亡くなって飛行船事業はエッケナー博士が引き継いでいた。
平和条約ではガス容量3万立方m以上の飛行船の建造が禁止されていたので、エッケナーが建造したLZ-120はガス容量2万立方mで完成した(後に2万5千立方mに拡張された)。

「ボーデンゼー」と命名されたこの小型飛行船の乗客定員は20名であった。
ツェッペリンの本拠地フリードリッヒスハーフェンとベルリン(シュターケン)間に空路を開設し運航を開始した。
当時の鉄道では600kmあまりの行程で28時間を要したが、ツェッペリンなら6時間で運航されていた。
当然船内で軽食程度は提供されていたと思われる。
料金は450マルクと高かったが盛況で1週間前に予約満席であったという。
ときには30名を乗せたこともあったというが今の航空法では考えられない。
運行開始の8月末からシーズンオフの12月までに101回運航されている。
毎日運行されてたのであろうが稼働率も高く安定していたようである。

国際空路開拓のため、スウェーデンのストックホルムにも2度飛んでいる。

後日、賠償としてイタリアに譲渡され「エスペリア」となった。
イタリア陸軍が長距離飛行などに使っていたが1928年に解体された。


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