2006年04月12日
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(飛行艇の時代:52) 飛行艇の客室( S-42の場合)
シコルスキーS-40の初号艇はは1931年に完成し「アメリカン・クリッパー」と命名された。
この後、旅客用渡洋飛行艇には「××クリッパー」という固有艇名がつけられ、クリッパーは大型飛行艇を指す一般名詞になった。
しかしS-40は4発であったが太平洋航路にはさらに大型の飛行艇が必要であった。
パン・アメリカン航空はそのために要求仕様書をまとめ、メーカー各社に提示した。
「アメリカン・クリッパー」の就航と同じ年のことである。
これに対応してシコルスキーはS-42を、マーチンはさらに大型のM130を開発した。
パンナムはS-42を10艇、M130を3艇発注した。
S-42の初号艇は1934年3月に進空し、10月にフロリダから南米路線に就航した。
就航実績によりS-42A/Bに改良され、発注された10艇はS-42は3艇、S-42Aを4艇、S-42Bとして3艇納入されている。
座席は最大で32席、寝台配置で14席であったがゆったりした向かい合わせの座席から大きな丸窓で見晴らしがよさそうである(出典:帆足孝治著「飛行艇の時代」)。
下の写真はティータイムのようである(出典:ミリタリーエアクラフト別冊「航空の黄金時代(航空史シリーズ(3))」)。
窓の外にかすかに見えるのは翼端のフロートであろう。
(M130には翼端フロートはない。ドルニエ式のスポンソンにより浮遊時の姿勢を保持する形式をとっているからである。)
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