2006年03月27日
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(台湾:4) 台湾神社
昭和14年5月、父と母が結婚している。
結婚式場は台北の台湾神社であった。
台湾を1895年に清国から割譲された日本は、上下水道や市街計画などインフラストラクチャの整備を行い、内地と同じような松山とか三重のような地名をつけた。
そして同じく「外地」であった札幌と同様、圓山公園を造り台湾神社を造営した。
台北の北部、基隆河の蛇行するところにある剣潭山で士林の近くである。
当時の陸軍飛行第8連隊の撮影した写真で、父が書き込みを行ったものである。
最初は基隆河に掛かる明治橋はトラス組の鉄橋であったがそのころは鉄筋コンクリート橋に掛け替えられていた。
この写真は台湾神社側から撮影したものである。
いまこの辺りは高架の自動車道が縦横斜めに重なっていて当時の面影はない。
内地から両家の親族が集まって結婚式が行われた。
立派な官幣大社であった。
その台湾神社の跡地には、中華民国に返還されたあと蒋介石夫人の宋美麗がホテル圓山大飯店を建設した。
孫文の3女である宋美麗はアメリカで天寿を全うしたが、父は台湾の人達はこの人のことを呼び捨てにしていると言っていた。
大鳥居のあった辺りには中華式の大きな門が建てられ夜はイルミネーションできれいである。
淡水に行くMRTの便も良いし台湾の定宿のようにしている。
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